「黄落」は木の葉が黄色く色づきながら落ちること。イチョウやケヤキ、クヌギなどの広葉樹が黄葉しながら落ちる様は、本格的な秋の到来を感じさせる。紅葉しながら落ちるカエデやサクラについては、「紅葉かつ散る」という。
掲句の樹下の席は公園のベンチだろうか。何かひとりになって考えたいことがあるなら、黄落の樹の下がいいと言っているのだ。一句の緩やかな声調には、独白の調べがある。しかし、秋たけなわの明るさの中での考え事であるから、さほど深刻な内容ではあるまい。『俳句四季』2025年12月号。
「黄落」は木の葉が黄色く色づきながら落ちること。イチョウやケヤキ、クヌギなどの広葉樹が黄葉しながら落ちる様は、本格的な秋の到来を感じさせる。紅葉しながら落ちるカエデやサクラについては、「紅葉かつ散る」という。
掲句の樹下の席は公園のベンチだろうか。何かひとりになって考えたいことがあるなら、黄落の樹の下がいいと言っているのだ。一句の緩やかな声調には、独白の調べがある。しかし、秋たけなわの明るさの中での考え事であるから、さほど深刻な内容ではあるまい。『俳句四季』2025年12月号。
蟿螽(はたはた)はバッタ目バッタ科に属する昆虫の総称。飛ぶときの翅の音からつけられたバッタの俗称。「きちきち」ともいう。
掲句は、蟿螽の飛ぶ野原にいて、「わぎも」という言葉を思い浮かべての作品。「わぎも」は、男性が恋人や妻を親しみを込めて呼ぶときに用いた古語。「わぎもこ」ともいう。「わぎも」という言葉を掌中の珠のように味わいながら、ひとり野路を行く作者。親しい男女が「わぎも」「わがせ」と呼び合いながら野を歩いた万葉の世を彷彿させる一句。『俳壇』2025年12月号。
「うそ寒」は、秋半ばから晩秋にかけて感じるうっすらとした寒さのこと。なんとなく感じる寒さや、心細さを伴う寒さを表す。
掲句は、秋の夜更けに「うそ寒」を感じながら独り厨房に立つ男性の、厨房での一コマ。あら汁は、魚の頭や骨などのアラを利用した汁物のこと。魚の臭みを消して風味を増すために、料理酒を使うことが折々あるが、作者は、たまたま手元にあったコップ酒を使ったのである。そこに男性料理特有の豪快な趣がある。『俳壇』2025年12月号。
「栗」はブナ科の落葉高木の実で、棘のある毬(いが)の中で育ち、成熟すると毬が裂けて実がこぼれ落ちる。鬼皮、渋皮を剥いたあと茹でるなどして食する。
掲句は、栗を剝いている自分自身に目を向けた作品。台所俳句といってもいいが、作者の目は厨房よりも、自らの内面に向けられている。自分自身にないものを求めて彷徨うのが人の一生ともいえ、「私以外の私になれず」とは、当然のようにも見えて中々到りつけない厳然たる認識だ。栗を剥くという日常の営みが、作者のその思いを支えている。『俳壇』2025年12月号。
「冬来る」は冬が到来すること。二十四節気の一つである「立冬」(11月8日頃)の傍題。まだ秋の気配が残る時期だが、朝晩の冷え込みや時折訪れる雨風に冬の訪れを感じる。
掲句は明け暮れ山に囲まれて暮らす作者が、四囲の山々を眺めての作品。「ひしめく」との山々に対する形容は、平明だが平凡ではない。その一語により、途切れなく連なる山々の姿が見えてくる。作者も山々も、張りつめた思いで、冬の到来を受け止めているのだ。『俳壇』2025年12月号。