「西日」は西の空に傾いた太陽、又はその光のこと。四季を通してみられるが、とりわけ真夏の午後の日射しは強烈で、夕方になっても衰えず、家の内外を容赦なく照らす。
掲句は甲斐駒ケ岳(かいこま)の肩の辺りを染めている西日を詠む。甲斐駒ケ岳は峻険な山容をもち、半ば独立峰のような姿で聳え立つ南アルプス北端の山。作者の郷土を代表する名山だ。いつもこの山を南西に仰いで暮らす日常の目が捉えた山の姿であろう。「のらんと」との擬人化表現が、この山に対する親しみを表している。『郭公』2025年8月号。
「西日」は西の空に傾いた太陽、又はその光のこと。四季を通してみられるが、とりわけ真夏の午後の日射しは強烈で、夕方になっても衰えず、家の内外を容赦なく照らす。
掲句は甲斐駒ケ岳(かいこま)の肩の辺りを染めている西日を詠む。甲斐駒ケ岳は峻険な山容をもち、半ば独立峰のような姿で聳え立つ南アルプス北端の山。作者の郷土を代表する名山だ。いつもこの山を南西に仰いで暮らす日常の目が捉えた山の姿であろう。「のらんと」との擬人化表現が、この山に対する親しみを表している。『郭公』2025年8月号。
「十三夜」は旧暦9月13日の夜、又はその夜の月のこと。旧暦8月15日の夜は望月を愛でるが、秋もいよいよ深まったこの夜は、満
月の二夜前のやや欠けた月を愛でる。この秋最後の月であることから「名残の月」ともいう。
掲句は「校了」した旨の短いメールを受け取った夜、折りからの十三夜の澄んだ月光に自らを解き放っているとの句意。「校了」は校正終了の意。校了により編集作業は終わり、印刷工程に移ってゆく。俳句雑誌などの編集部員としての日常の一コマだろうか。『俳壇』2025年9月号。
「鎌祝(かまいわい)」は稲刈が無事に終った直後に行われる行事。稲刈りの主役をつとめた鎌に赤飯や餅を供え、 その年の収穫を祝う。作業に欠かせない鎌や鍬などの道具に対する感謝の思いがこめられている。
掲句は稲が生育する間、雨が十分に降り、日照りにも恵まれて、無事「鎌祝」の日を迎えることができた喜びが率直に表出されている作品。今年の夏の雨の降らない極暑の日々とその後の豪雨は、稲作地帯に住んでいない我々をも心配させる激しさ・厳しさだった。無事に稲刈りが済んだ安堵感はいかばかりのものか。『俳壇』2025年9月号。
「昼寝」「午睡(ごすい)」は夏の昼間に短時間眠ること。酷暑の折は夜も熟睡できず睡眠不足になりがちだ。寝不足や食欲不振などによる体力の消耗を回復するために昼寝をする。
掲句は、人間を遠くに捨てて「午睡」をしたと詠む。ほんの一時の眠りから覚めたとき、眠っている間は人間であることから解放されていたとの感覚があったのだ。目が覚めてしまえば元の己から逃れる術はないのだけれど・・・。何物からも束縛されない眠りというものの本質が鋭く捉えられている。『俳壇』2025年9月号。
「木下闇」は、夏の木々が鬱蒼と茂り、日光が遮られて、樹下が昼とは思えぬ暗さであること。日向から急に木蔭に入るときなどは、特に暗さを感じる。
「木下闇」を形づくる木々の種類を普段は気にすることはないが、細やかに見れば、樹形が様々であるように、樹下に作られる暗がりにも、桜、欅、椎などの木の種類によって濃淡があり、明暗があり、それぞれの印象があるのだろう。掲句は、「さくら」の木蔭に母を、「けやき」の木蔭には父を感じると詠む。「さくら」「けやき」との仮名書きは、すでに故人になった父母に寄せる作者の思いのやわらかさを表している。『俳壇』2025年9月号。