単に「蝶」といえば春の季語だが、「揚羽蝶」は夏に見かけることが多いので夏季に分類されている。その大ぶりな美しさは、夏の季節にふさわしい。黒地に緑の光沢をもつ「烏揚羽(からすあげは)」「烏蝶(からすちょう)」も「揚羽蝶」の一種。
「烏蝶」は、山路を歩いているときなどに、深い森の奥から不意に眼前に現れる。掲句では、木陰から日向に躍り出た「烏蝶」が生き生きと描写されている。「影より黒き」との措辞からは、真夏の日の光が真上からさんさんと降り注ぐ様も想像される。『俳壇』2025年9月号。
単に「蝶」といえば春の季語だが、「揚羽蝶」は夏に見かけることが多いので夏季に分類されている。その大ぶりな美しさは、夏の季節にふさわしい。黒地に緑の光沢をもつ「烏揚羽(からすあげは)」「烏蝶(からすちょう)」も「揚羽蝶」の一種。
「烏蝶」は、山路を歩いているときなどに、深い森の奥から不意に眼前に現れる。掲句では、木陰から日向に躍り出た「烏蝶」が生き生きと描写されている。「影より黒き」との措辞からは、真夏の日の光が真上からさんさんと降り注ぐ様も想像される。『俳壇』2025年9月号。
「涼し」は夏の暑い最中に思いがけず覚える涼しさをいう。流水や木陰に身を置く涼しさ、急な風雨のもたらす涼しさ、目や耳で感受する涼味など、日常の中で涼しさを感じる場面は様々だ。
掲句は河童(かっぱ)の子の「ちんぽこ」を思い描いての作品。「ちんぽこ」は「陰茎」の幼児語であり、俗称。「ちんぽ」などともいう。河童は想像上の生き物であり、鬼、天狗などと並んで日本に棲む妖怪の一つとされるが、その河童の子の股間に人間の子供と同様可憐な「ちんぽこ」があるという。一読暑気を払ってくれるような楽しい想像だ。『文藝春秋』2025年9月号。
「秋澄む」は秋の澄んだ大気をいう。移動性高気圧が大陸上空の乾燥した冷たい空気を送り込むため、空気が遠くまで澄みわたる。目に映るものだけでなく、耳に入るものの音も澄んで聞こえる。
掲句は目に映じるもの、耳に入るものの音なべて澄んでくる秋のただ中にあって、ゆるやかに過す自らの「晩節」の日々を振り返っている作品。「晩節」は「晩年」と同様の意味だが、「晩節」という言葉には、自ら信じる生き方を貫いてきた矜持が感じられ、そのことがこの句を引き締めている。『俳壇』2025年8月号。
「新樹(しんじゅ)」は若葉に覆われる初夏の木立のこと。「新緑」と類似の季語だが、「新緑」は若葉の色合いのみずみずしさに、「新樹」は木の姿に焦点を当てた言葉。山や野に生命力がみなぎる季節である。
掲句は初夏の夜、ものを書こうとして万年筆を手にしての作品。丁度木々が土中から水を吸い上げるように、毛細管現象によりペン先へとインクが伝わってゆく。ペン先のインクが匂うのはこんな時だ。インクの匂いから屋外の新樹に想像を巡らせたところに、作者の若々しく柔軟な詩心が見える。『俳句界』2025年8月号。
「夜の秋」は夏の終り頃、夜になってからの涼しさに何となく秋めいた感じのすることをいう。去りゆく夏に一抹の寂しさを感じる。
掲句は、一読、一人より二人の方が寂しいとはどういうことだろうと、一瞬立ち止まってしまった作品。常識的には一人の方が寂しさを感じると思うのだが、二人で居ることで、却って寂しさを強く感じることもあるのだろう。仮に互いに隔てのない夫婦の仲であっても、ふとそんな思いに捉えられるのが、「夜の秋」ではないだろうか。夜気に秋めいた気配を感じる夏の終わり頃の感懐である。『俳句』2025年8月号。