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俳句の庭

  • 芭蕉の推敲(3)

    9月 23rd, 2023

    芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉 芭蕉                               天和元年の作。「茅舎の感」との前書きがある。野分の夜を独り過ごす独居の侘しさが滲み出ている作品である。八・七・五の破調だが、初句の字余りは野分の中で千々に破れる大揺れの芭蕉を彷彿させて効果的だ。前年の冬、芭蕉は、それまで住んだ江戸市中日本橋から深川の杉山杉風の下屋敷に移った。この年の春、門人李下が贈った芭蕉を庭に植え、芭蕉は青々と葉を茂らせた。門人たちはその草庵を「芭蕉庵」、主を「芭蕉翁」と呼ぶに至ったという。この句は、天和2年3月刊の『武蔵曲』に、それまでの「桃青」に替えて、「芭蕉」と署名して掲載され、「芭蕉」の号を披露する句になった。

    当時は芭蕉とその門下のみならず、一般的な俳壇の風潮として、漢詩・漢語趣味がもてあそばれていた時代、いわゆる「漢詩文調時代」に当たり、上掲の「野分」の句以外にも、               櫓の聲波ヲうつて腸氷る夜やなみだ 芭蕉                 髭風ヲ吹て暮秋歎ズルハ誰ガ子ゾ  〃                などの漢語調の作がある。「野分」の句は、外面の措辞や語調の模倣よりも、杜甫や蘇東坡の詩情への共感・反芻の中で、自己の生活を詩化し、侘びの詩情を確立した点に意義のある作品と言える。

    後に芭蕉は、初五の字余りを避けて、                       芭蕉野分盥に雨を聞く夜かな 芭蕉               と改めたという。初案の漢詩文的なリズムを抑制しようとの意図があったと思われるが、諸氏の言うとおり、これは全くの改悪だろう。山本健吉が評するように、「芭蕉野分」と字余りの競いをそいでしまったら、一句の生命も死んでしまうのだ。語調を整えて、却って句の勢いが死んでしまうとは、現代の実作者でも経験のある改悪ではないだろうか。

  • 舌出して貝に貝寄る秋の暮 大谷弘至

    9月 23rd, 2023

    「秋の(夕)暮」は、『枕の草子』以来その寂しげな風情が賞されてきた伝統的な季題。

    掲句は、伝統的な季題の情趣に凭れるのではなく、それを逆手にとって、「秋の暮」の貝の寂しさを自在に表現した作品。貝が舌を出して他の貝に寄っていくことなど、実景としてはありそうもないが、一読貝の気持ちが分かったような気になるのも、「秋の暮」という言葉のもつ力だろう。『俳壇』2023年10月号。

  • 山葡萄

    9月 23rd, 2023

    ブドウ科の蔓性落葉低木。日本の冷涼地に自生する。夏に黄緑色の小花を房状につけたあと、秋、黒い球状の葡萄に似た実をつける。実が生食されてきたが、近年、ワイン、ジャム、ジュースの原料として活用されている。口に含むと、野趣豊かな酸味が広がる。

  • 穂紫蘇(ほじそ)

    9月 23rd, 2023

    紫蘇(しそ)の花期は晩夏初秋の頃で、花穂(かすい)が次々と開花する。花序は総状花序で、花色は白から紫色。夏に繁茂する葉を食用にするほか、秋に伸びる花穂も食用になり、花をつけたもの、花が終わって実が熟す前のもの、実がふくらんだもの、しごいた実は、それぞれ用途がある。特に、実が熟す前の穂紫蘇は、刺身のつまのほか、醤油漬けや和え物、天ぷらなどに利用される。

  • 椎の実

    9月 18th, 2023

    椎はブナ科の常緑高木でスダジイやツブラジイ等が含まれる。本州から沖縄にかけて自生し、また、街路樹や公園木として植栽されている。6月頃穂状花をつけた後、秋に実る実は古くから食料となっている。

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