スイカズラ科の落葉低木で、日本全国の山地や丘陵地の明るい林や草原に自生する。6月頃白い小花を咲かせた後、小粒の実を密集させる。実は晩秋の頃熟して暗赤色になる。ヒヨドリやメジロなどの小鳥に食べられて種が運ばれる。


晩秋になり、草が上部や先の方から枯れてくること。灌木の葉先の枯れはじめにもいう。草木が乾いた風に揺れながら枯れてゆくさまは、秋の深まりを感じさせる。「末」とは「先端」の意。

秋の声は、澄んだ空気の中に繊細になった聴覚の捉えた秋の気配。葉擦れの音、水音、虫の音などであってもいいが、心の中で聴きとめる心象的な声のこともある。
掲句は寺院などの回廊に佇んで秋の気配に耳を澄ませているところだろう。回廊は、建物や中庭などを取り囲むように、途中で折れ曲がりながら続く長い屋根付廊下のこと。私は宮島の厳島神社を思い浮かべたが、どこであっても構わない。いずれにしても、歴史のある寺院などの回廊を想定したい。回廊の吹き抜けて来る風の音を「秋のこゑ」と捉えたところに、俳人としての直感の働きが見える。『俳句四季』2023年10月号。
草木の紅葉や黄葉の美しさだけでなく、秋の気配や気分、光の透明感などにもいう。秋の風光の爽やかさ、清々しさとともに、さびしさも感じられる言葉。秋光とも。

庭などで、一部分を区切り土を盛り上げるなどして草花を植えた所のことで、俳句では秋の季語になっている。澄みわたった秋空の下、華やぎや明るさ、静けさを感じさせる。草の花、花野が秋の季語とされているのと同様、秋の草花の風情への愛着が生んだ季語。
