中国原産のバラ科シモツケ属の落葉低木で、江戸時代に渡来した。「こでまり」は、漢字では「小粉団」、「小手毬」、「小手鞠」などと表記する。庭や公園に植えられ、また、切り花としても観賞される。晩春の頃、白い花が丸く集まって咲く。この花の集合を小さな毬に見立ててこの名がある。


中国原産のバラ科シモツケ属の落葉低木で、江戸時代に渡来した。「こでまり」は、漢字では「小粉団」、「小手毬」、「小手鞠」などと表記する。庭や公園に植えられ、また、切り花としても観賞される。晩春の頃、白い花が丸く集まって咲く。この花の集合を小さな毬に見立ててこの名がある。


アヤメ科アヤメ属の多年草。全国の低山から高原の乾燥した明るい草原に自生するほか、観賞用に栽培される。初夏の頃、紫や白などの花を咲かせる。花弁の付け根に網目模様がある。なお、同じアヤメ属だがアヤメ以外の種別に当たるハナショウブやカキツバタを含め、それらを総称して「あやめ」と呼称することも多い。

没後の平成21年に刊行された『龍太語る』(山梨日日新聞社)は、平成4年の「雲母」終刊後、記者らが龍太から聴き取った談話をまとめたものだが、その中に、龍太の内面や美意識が、連衆との交わりよりも孤心に傾斜していることを窺わせる件(くだり)がある。
「今の俳句結社は、俳句を通じた親睦団体に近いものがある。・・・僕はそういうつきあいが好きでない。」
「永井さんは、俳句は好きだったけど、俳人は嫌いだった。」
「山桜は山中にポツンポツンと咲く。群れないのがよい。」
以上のうち、最初の談話は、「僕はそういうつきあいが好きでない。」とストレートに自らの好尚を吐露している。
また、二番目の談話は小説家永井龍男について述べたものだが、間接的に自らの好尚を語っているようにもみえる。
さらに、三番目の談話についても、山桜のことを述べながら、暗に、人事全般の在りように関する好尚を語っているようだ。
これらの談話を併せ読むと、龍太の内面における孤心への傾斜が明らかに浮かび上がってくる。そうだとすると、
またもとのおのれにもどり夕焼中(平成4年)
という「雲母」終刊号に発表された作は、一俳誌の主宰としてその主宰誌を終刊にする決意を表明したというだけでなく、連衆の中で詠み、読まれながら作品評価が定まっていく一種の集団文芸である俳句との訣別の思いを潜めた作なのではないだろうか
「卯の花腐(くた)し」は卯の花が咲く頃降り続く長雨のこと。 卯の花を腐らせるような雨という意味合いがある。旧暦の四月(卯の花月)は天候の悪いことが多く、この季語を実感する日も多い。
