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俳句の庭

  • 飯田蛇笏『家郷の霧』を読む

    6月 3rd, 2024

     本句集は飯田蛇笏の生前に刊行された最後の句集であり、昭和二十七年から三十年までの四年間の作品を収める。

     子息の戦死、病死から数年~十数年が経過しており、収められている作品群の印象は静謐だが、読み進んでいくと、作品の中から作者の心情の揺れが見えてくる。 

    こころなごみゆく地の起伏冬日和      蛇笏

     後山からの境川村一帯の眺望だろう。歳月が作品に和みの表情を与えている。戦後間もない時期に刊行された句集『春蘭』所収の

    冷やかに人住める地の起伏あり        蛇笏

    と比べると、歳月の経過による癒しが、季語「冷やか」「冬日和」の違いとなって表れているようだ。

    凪ぎわたる地はうす眼して冬に入る    蛇笏

    おく霜を照る日しづかに忘れけり        〃

    春めきてものの果てなる空の色         〃

    冬といふもの流れつぐ深山川             〃

     掲出の第一句、第二句からも、同様の静謐さを感じ取ることができる。いずれも擬人法による作だが、例えば第一句の「うす眼して」には、立冬の頃の凪ぎわたった郷里を眺望したときの印象として、不思議なリアリティがある。同時に、私は一読、静かな日差しの中で四囲の自然に溶け込んでいる、半ば瞑想風の山廬主人を思い浮かべる。

     一方、第三句、第四句には、「うす眼」というよりも、対象と向き合う気魄が感じられる。第三句で遥かな「ものの果て」に及ぼしている視線は、第四句では身辺の深山川に注がれている。第三句には、遠景と蛇笏の胸中の浪漫的な想念の一体化があり、第四句では、「深山川」とともに過ごしてきた歳月がそのまま作品の重みになっている。

     本句集には、精妙な写生の妙を示した次のような作品もある。

    蜂とぶや鶴のごとくに脚をたれ        蛇笏

    ひなげしのにこ毛の蕾花に添ひ         〃

    うす影をまとうておつる秋の蝉         〃

     具象から抽象へ向かおうとする想念と対象への具象的な踏み込み、すなわち具象と抽象との間の拮抗の中に、蛇笏作品のリアリティの根源があるようだ。

     また、次の作品は、静謐な詩情の中に時折顔を出すごつごつとした巌のようなものだろう。それは、ときに戦時の記憶であり、逆縁の悲しみであり、漠とした憂愁である。

    雪幽くつのりて軍靴湧くごとし       蛇笏

    神は地上におはし給はず冬の虹         〃

    逝くものは逝き冬空のます鏡          〃

    空林の霜に人生縷の如し                〃

    冬の風人生誤算なからんや              〃

    雪の果征旅の二児は記憶のみ            〃

    歳月をたのしまざりき冬の山            〃

     表情や濃淡は様々だが、いずれの句にも、人生における喪失感とでも言うべきものが感じ取れる。また、掲出の第三句は、龍太の次の作を思い起こさせる。

    去るものは去りまた充ちて秋の空      龍太

     詠われているのは両句とも澄明な空だが、そこに込められている作者の内面の風景には大きな違いがある。龍太作品の「秋の空」は、去るものが去ったあとまた充ちてくる空であり、自然にも人事にも解釈でき、一抹の寂しさに親しみと爽やかさを伴っているが、蛇笏作品においては、「逝くもの」のあとの大きな空虚を充たすものは何もなく、真澄みの空には人間的な温もりを絶った青さがある。それは、

    老鶴の天を忘れて水温む              蛇笏

    などのこの時期の作品にしばしば詠まれる「天」の象徴的、抽象的な味わいとともに、作者の心の在り処を示しているようである。

    年古く棲む冬山の巌も知己              蛇笏

    郭公啼くかなたに知己のあるごとし     〃

     これらは、『椿花集』所収の

    山中の蛍を呼びて知己となす          蛇笏

    と同様、山中の自然を友とする心情であり、前掲作品の「冬空」の非情さと表裏する心の動きを示している。

    淡々と夕影しみる稲の出穂            蛇笏

    月光のしみる家郷の冬の霧             〃

    秋蝉のこゑ尻しみる山郷土             〃

     掲出の第二句は本句集の題名のもとになった作品であり、句集『雪峡』所収の

    老いがたくこころにしみるはつみそら   蛇笏

    とともに、「しみる」と言う措辞が、この時期の蛇笏の心に適う言葉の一つだったことは疑いない。平穏に過ぎていく晩年の日常の中で、月光や秋蝉の声や「はつみそら」を心の深くでひえびえと受け止めているのだ。

     以上のように、作品をとおして作者の心情に思いを及ぼしていくと、次の諸作などは、単に眼前の対象を写生したものとは思われない。

    春の露巌貌恍とありにけり              蛇笏

    痩せし身の眼の生きるのみ秋の霜      〃

    金輪際牛の笑はぬ冬日かな               〃

     これらの恍とした巌や決して笑わない牛はこの時期の作者の心情と重なってきて、作者その人を彷彿とさせる。

  • 入梅

    6月 3rd, 2024

    梅雨の始まる日。現行暦では太陽の黄経が80度に達した日をもって入梅とし、立春から127日目の6月11頃。梅雨は、入梅後の30日間ほどをいう。実際には、気象庁の梅雨入り宣言によって梅雨入りを知ることになるが、その時期は地域により異なり、南北に長い日本では沖縄から東北地方まで1か月程度の幅がある。関東近辺では6月9日頃。

  • 星のこゑ氷河に近く眠る夜は

    6月 2nd, 2024

    雪や氷が長い年月に渡って堆積して圧縮してできた巨大な氷の層のこと。その涼しげなイメージから夏の季語になっている。

    掲句はニュージーランド旅中の作品。トワイゼルのコテージに泊まり、そこを拠点に昼間はテカポ湖畔やフッカー氷河近くまで出かけた。マウント・クック国立公園内には、同氷河のほか、タスマン氷河やミューラー氷河などいくつかの氷河があるが、そのエリアは同時に、空気が澄んでいることなどから天体観測の適地であり、星空保護区に認定されてもいる。コテージのデッキから夜半に仰いだ滴るような星空は、今なお記憶に焼き付いている。その夜は曇りがちで、束の間の晴れ間だったが、オリオン座やシリウスが北に仰がれた。

  • 正岡子規『子規句集』を読む

    6月 2nd, 2024

     本句集は、高浜虚子選による子規の句業の集大成であり、虚子の「序」によれば、寒山落木など七冊の草稿の二万句近くの中から二千三百六句を選んだものである。

     明治二十七、八年には次のような作が並ぶ。

    絶えず人いこふ夏野の石一つ          子規

    赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり          〃

    紫陽花や青にきまりし秋の雨          〃

    苗代の雨緑なり三坪程                  〃

    秋高し鳶舞ひ沈む城の上                 〃

    柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺           〃

     子規自身も「写生的の妙味は此時に始めてわかった様な心持がして」(獺祭書屋俳句帖抄)と書いているように、子規の写生開眼を窺わせる諸作である。これらの多くは、動と静、色彩と季節感、地名と季物など、いずれも配合の新鮮さにより印象明瞭な作品になっている。特に掲出の第三句は、ごく初期の

    あたたかな雨がふるなり枯葎          子規

    とともに、季物に対する出来合いの見方によるのではなく、そこから少しずれたところに新しい配合を発見しており、そこに、伝統的な見方よりも、自らの目に映り、自ら感じ取ったことを重視した子規における写実、写生の根本的な性格が見て取れる。

     掲出の第六句については、随筆『くだもの』のなかで、奈良に柿という新しい配合を見出した喜びが語られている。

     これらの諸作が作られた明治二十七、八年が、子規作品の一つの充実期と言っていい。

     しかし、子規には、写生開眼から脊椎カリエスで歩行の自由を奪われるまで、日清戦争への従軍を挟んでごく短い年月しか与えられず、二十九年以降は「病床六尺」の限られた世界から素材を得た作品になった。

    この頃の朝顔藍に定まりぬ            子規

    鶏頭の十四五本もありぬべし           〃

     掲出の第二句は本句集には収められていない。詠まれているのは何の変哲もない些事のようだが、対象の把握、単純化の技量の冴えに、子規の透徹した眼差しが感じられる。

     そして、仰臥の身となった子規の実作には、次第に、そうした境涯の翳が濃くなるとともに、読者に対してもその境涯を踏まえて鑑賞するよう求める作品が多くなっていった。

    榎の美散る此頃うとし鄰の子          子規

    しぐるゝや蒟蒻冷えて臍の上             〃

    小夜時雨上野を虚子の来つゝあらん     〃

    いくたびも雪の深さを尋ねけり        〃

    粥にする天長節の小豆飯                  〃

     これらの諸作の多くに「病中」などの前書きが付されている。子規が仰臥の身であるということを離れては、作品の十分な鑑賞ができないことについて、子規自らが自覚的であったことを示している。

     そして、明治三十四年以降の最晩年には、作為、作ろうとする意欲を放棄したような作品が目につく。

    五月雨や上野の山も見あきたり        子規

     また、本句集には収められていないが、「仰臥漫録」の次のような作品もこの時期の子規作品の特色を示している。

    梨腹も牡丹餅腹も彼岸かな                  子規

    つくつくぼーし明日なきやうに鳴きにけり  〃                 

     これらの作品には、作の高下は別として、「病床六尺」などの当時の虚飾を去った随筆の文章と共通の印象がある。

     以上が、子規作品の言わば幹の部分と言っていいが、本句集には写生・写実に依らない作品も収められている。子規は、『俳諧大要』で、俳句の作法の二つの大きな柱として「空想」と「写実」を挙げ、また、『俳人蕪村』においては、芭蕉が発句において自己の境涯を離れることがなかったのに対し、「四畳半の古机にもたれながら其理想は天地八荒の中に逍遥して無碍自在に美趣を求」めたとして蕪村を評価した。

    朧夜や女盗まんはかりごと           子規

    傾城を買ひに行く夜や鮟鱇鍋           〃

    などの作は、蕪村張りの艶麗な世界を志向したものと思われ、

    薬盗む女やはある朧月                 蕪村

    などを彷彿させる。しかし、この種の子規の作品の多くは蕪村の模倣から抜け出せず、独自性に乏しいことは否定できない。

     他方、次のようなユーモアを湛えた軽妙な作品や贈答句に子規らしい一面を見ることができる。

    烏鳶をかへり見て曰くしぐれんか      子規

    行く我にとゞまる汝に秋二つ            〃

    乾鮭に目鼻つけたる御姿                 〃

     掲出の第一句は小動物を題材にした佳品であり、

    我事と鯲のにげし根芹哉       丈草

    などを思い起こさせるが、子規の掲出句には空想の占める割合がより大きい。この種の佳品は他にもあるが、その多くが虚子選になる本句集から洩れているのは、必ずしも凡句だからということではなく、俳句と俳句でないもの、秀句・佳句と凡句に関して、虚子流の選別が行われたことによるのであろう。

     第二句は、「漱石に別る」との前書きが付されており、渡欧する漱石に贈られた贈答句であり、また、第三句は、画賛として作られた作品である。いずれも、写生、写実の作法からはみ出す諸作である。

     本句集から子規の写生、写実を学ぶだけでなく、俳句の多様な可能性を汲み取ることが必要だろう。

  • 短夜

    6月 2nd, 2024

    短い夏の夜をいう。夜の時間の長さは、太陽と地球の関係がつくる季節によって変化する。春分の日以降夜は昼より短くなり、夏至は最も夜が短く、4時頃から空が明け白んでくる。「短夜」には、そうした実際の夜の短さに加えて、明けていく夜を惜しむ思いがこもる。『枕草子』では、「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍おほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし」と夏の夜の情趣を称えている。夏の夜は、明けるのが惜しまれる夜でもあった。

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