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俳句の庭

  • 母の日

    5月 14th, 2024

    五月の第二日曜日。A・ジャービスの提唱により、母の愛に感謝を捧げる日として、1908年にアメリカで始まり、日本には大正初期に導入された。一般に普及したのは戦後。母への敬愛と感謝を念を表し、贈り物などをする。母が存命の人は赤いカーネーションの花を贈ることが一般的。

  • 俳句と虚構(1)

    5月 14th, 2024

    まず、蕪村の発句についてみてみたい。

    身にしむやなき妻のくしを閨に踏     蕪村

      「身に入む」は、中秋から晩秋にかけて秋の気配を身にしみとおるように感じることで、肌で感じ取る秋の気配に心理的な陰翳が加わった季語である。下五中七の「くし」、「閨」などの道具立てが、季語「身に入む」のもつ心理的な陰翳をよく活かしている。この句は虚構の作で、蕪村の妻ともは当時健在だった。国文学者尾形仂はこの句の虚構について、蕪村の詩的想像力によって俳諧の世界を豊かに広げたもので、「写生中心主義の下でマンネリ化の危機に直面する現代俳句の行き詰まりを打開する上に、大きな示唆を呈示している」と積極的に評価した。しかし、実作者として改めてこの句に目を凝らしてみると、道具立てが揃い過ぎていて、何やら精巧な作り物という感じが無くもない。元禄七年、寿貞尼が江戸の芭蕉庵で亡くなったと聞いたときの芭蕉の作

    数ならぬ身とな思ひそ魂祭り         芭蕉

    のもつ、作者の溢れ出る真情のもつ迫力とは比べるべくもない。掲出句以外にも、蕪村には虚構の作品が多くある。

    御手討の夫婦なりしを更衣           蕪村

    公達に狐化たり宵の春                 〃

    行春や撰者をうらむ哥の主             〃

      これらはそれぞれ巧みに小説的趣向を取り入れて季題の情趣を活かしており、明治以降子規や虚子の句作に大きな影響を与えたことは周知のとおりである。

    短夜やわりなくなじむ子傾城         子規

    大雪になるや夜討も遂に来ず         〃

    内閣を辞して薩摩に昼寝哉            〃

     これらの作は、蕪村の句に触発されたものと思われ、一読面白味が分る句だが、第一級の作とは言えないだろう。

     前述のように、蕪村には小説的趣向を取り入れた虚構による作が多くあるが、今の我々からみると、蕪村の本領は、故郷喪失者として心の故郷に対する追懐を詠んだ次のような諸作であることは論を俟たない。

    遅き日のつもりて遠き昔かな         蕪村

    愁ひつつ丘に登れば花茨             〃

    凧きのふの空の有りどころ           〃

      これらの諸作において、蕪村は最も蕪村的であり、心の深いところから表出された詠嘆を感じ取ることができる。

  • 鮎

    5月 14th, 2024

    アユ科に属する唯一の魚で、淡水魚。北海道南部以南の河川に棲む。古来から食用とされ、塩焼きのほか鮨や膾にして食べる。寿命は通常一年で、「年魚」とも呼ばれる。また、独特の香気をもつことから「香魚」とも呼ばれる。なお、「鮎」は夏季だが、稚魚は「氷魚(ひうお)」と呼ばれ、冬の季語。また、「若鮎」は春の季語、「落ち鮎」は秋の季語。

  • 海桐の花

    5月 14th, 2024

    海桐(とべら)はトベラ科トベラ属の常緑低木。東北以西の暖地の沿岸部に自生するほか、生垣や庭木として植えられる。初夏の頃、集散花序を出し芳香のある白い小花をつける。秋には黄色の実が裂けて、赤い種が現れる。

  • 龍太と孤心(4)

    5月 13th, 2024

    これまで、龍太俳句における孤心の表れをみてきたが、次の諸作などには、前掲の諸作とは対照的に、人間に対する関心や、「雲母」の諸友、文人などとの豊かな交友が背景にある。

    どの子にも涼しく風の吹く日かな(昭和41年)

    晩涼やおのおの語る古俳諧(昭和48年)

    日向より帰りし甲斐も秋暑にて(昭和50年)

    盃を置いて柚柑の一枝剪る(昭和52年)

     掲出の第一句は涼風の中で遊んでいる子供達を詠んだ作だが、作者と子供達との関わりは、作者が対象を観察し、描写するといった一方的な関係ではない。両者はともに同じ風土の中に生を受けたものとして、同じ涼風の中にそれぞれの時を過ごしている。作者が見ているのは、眼前に遊んでいる子供達であるとともに、幼少期の作者自身であり、また、幼くして亡くなった次女の面影でもある。それらの者たちを分け隔てなく涼風が吹き包んでいる。作品は、作者と子供達との一種の「うたげ」(大岡信)から生まれたものである。その「うたげ」は、作者の心の中だけにあるものなのだが・・・。

      第二句には、俳句という同好の人々の座の中にあっての打ち解けた愉しい語らいがある。 

     第三句は、「九州えびの高原 五句」との前書きの付された一連の旅吟の後に収められており、「書信の端に」との前書きがある。年譜には、同年九月「雲母」九州俳句大会に出席とあり、この句が、旅後、大会で交友を深めた句友に認めた書信の端に記した即興の一句であったことが分かる。書信をとおしたこうした交流も、「座の文学」としての俳句の醍醐味だろう。

     第四句には、「某日某氏邸」との前書きがあり、歓談の中のさり気ない動作を描写した平淡な作だが、そのさり気なさの中に、即興の味わいとともに、「某氏」との交友の機微が浮かび上がってくる。

     龍太自身がエッセイの中で明らかにしているように、「某氏」は井伏鱒二であり、井伏との交友が契機になった作品としては、「I先生芸術院賞受賞」との前書きがある

    春風のゆくへにも眼をしばたたく(昭和31年)

    や、「爾今「尊魚堂主人」と自称すと来信あれば」との前書きがある

    百千鳥魚にも笑顔ありぬべし(昭和63年)

    などもある。前掲句の前書きを「井伏鱒二邸」としなかったのは、この句の軽い風趣を活かすには、特定の個人名は不要と考えたのだろう。

    去るものは去りまた充ちて秋の空(昭和53年)

      この句とよく似たモチーフの作に、

    逝くものは逝き冬空のます鏡          蛇笏

    があることは前述した。この蛇笏作が、遺された者の埋め合わせようのない孤心が色濃く表出されているのに対して、掲出の龍太作には、去るものが去った後充ちてくるものとの交感がある。両句の包含する情感は対照的だが、その違いの背景には、蛇笏、龍太が戦時に受けた心の痛手の深浅とともに、龍太には、蛇笏以上に、「雲母」の俳人のみならず、井伏鱒二をはじめとする文人との豊かで深い交友があったことを挙げておきたい。

    雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし(昭和44年)

      この句には、孤心と「うたげ」の二つの要素がある。「雪の日暮れ」時の淋しさは誰しも感じることだが、作者はそれを「いくたびも読む文」に譬えた。この譬えには、「文」の遣り取りを通じた豊かな交友が暗示されており、この句を、孤心とともに、作者の心豊かな交友の余韻を同時に感じさせる作にしている。

    人声や此道かへる秋の暮             芭蕉

    此道や行人なしに秋の暮             〃

      両句はほぼ同時に出来たと言われている。「此道」の作が、前述のように、芭蕉の孤心から出た詠嘆だとすれば、「人声」の作は、孤心に徹することのできない芭蕉の人懐かしい心情から生まれた作である。  両句からは、孤心と「うたげ」との間で揺れ動いた晩年の芭蕉の心の在りようが見えてくる。

     以上のように龍太俳句には孤心と「うたげ」双方の要素があるが、龍太作品の主軸は、「うたげ」の要素を孕みながらも、自然との一対一の交感を踏まえた「孤心」だろう。龍太語録にある「自然から見られている感じ」とは、自然との交感に軸足を置く作者にして、初めて言い得た言葉のように思われる。

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