粟(あわ)は東アジア原産のイネ科の一年草。稲、麦、黍(きび)、稗(ひえ)とともに五穀の一つで、世界各地で古くから栽培されてきた。花の後に黄色い実をつける。現在では、主として餅や菓子、小鳥の餌などに利用される。
掲句は、丈高く稔っている粟の穂に、夕月が光りはじめたとの句意。解説するまでもない作品だが、秋の夕暮れの情趣がそこはかとなく感じられると思っている。バス停でバスを待っているとき、後ろが一面の粟畑だった。暗くなる前の薄明のひと時。平成21年作。『春霙』所収。
粟(あわ)は東アジア原産のイネ科の一年草。稲、麦、黍(きび)、稗(ひえ)とともに五穀の一つで、世界各地で古くから栽培されてきた。花の後に黄色い実をつける。現在では、主として餅や菓子、小鳥の餌などに利用される。
掲句は、丈高く稔っている粟の穂に、夕月が光りはじめたとの句意。解説するまでもない作品だが、秋の夕暮れの情趣がそこはかとなく感じられると思っている。バス停でバスを待っているとき、後ろが一面の粟畑だった。暗くなる前の薄明のひと時。平成21年作。『春霙』所収。
「無月(むげつ)」は陰暦8月15日の名月の夜、空を覆う雲に月が隠れていること。待ちわびた月が隠れて見えないのは残念だが、そこに風情を見出すところに、日本人の美意識が垣間見える。
掲句は「無月」の夜、手に抜き捨てた草のにおいが付いたままになっていることに気づいて詠んだ作品。折角の満月が姿を現さないのは期待外れだが、中秋の名月の夜だと思えば、空が雲に覆われているとはいえ、華やぐ心も無くはない。からりと晴れわたって澄んだ月光に照らされているより、気持ちが落ち着くように思う。平成20年作。『春霙』所収。
「茶立虫(ちゃたてむし)」は、チャタテムシ目の昆虫の総称で、体長数ミリほどの小さな虫。障子などにとまって、サッサッと茶を点てるような音で紙を掻くことからこの名がある。もの寂しい秋の音の一つ。
掲句は独り留守居をしているとき、障子に茶立虫の音を聞き留めての作品。そういえば、その日は旅行にでも行ったのか、隣家は音ひとつ無く、しんと静まり返っていた。庭のコオロギの声も弱々しくなる時分であった。平成20年作。『春霙』所収。
「秋霖」は9月中旬から10月上旬頃降り続く長雨のこと。秋雨前線が停滞することで起こる。梅雨のようにしとしとと雨が降り続く。
掲句は神田神保町のとある古書店の二階で、絵本を立ち読みしていて授かった一句。しばらく仕掛け絵本のメルヘンチックな雰囲気に浸った後外に出ると、曇り空から雨粒が落ちてきていた。平成16年作。『春霙』所収。
「年の暮」は12月も押し詰まった頃のこと。12月の中旬頃から正月の準備を始めることも多く、一年が終わりつつある実感が湧いてくる。ことにクリスマスが終わると、その感が強くなる。年末の慌ただしさや新年を迎える準備、そして過ぎ去る年への感慨が入り混じる。
掲句は唐墨色(からすみいろ)の月の暈(かさ)を仰いで、多事だった一年が暮れてゆくことを改めて思っているとの句意。 月の暈は、夜空に薄い雲がかかっているときなどに見られる。その夜は、月の暈が唐墨色に見えた。唐墨は、主にボラの卵巣を塩漬けにして乾燥させた珍味。形が中国伝来の書道用の墨に似ていることから、その名があるという。長崎県産のものが有名。一般には余り馴染みのない唐墨を目にしたことがあるのも、出張の多い職場に勤めていた名残だろう。平成22年作。