「十二月」は一年の最終月。新年を迎える準備など何かと済ませるべきことが多く、あわただしさを感じさせる。振り返って、この一年の出来事を改めて思い起こすことも多い。
掲句は飯能の古刹能仁寺での作品。山門を潜るとき、阿形・吽形の二体の仁王像は初冬の冷気の中でしんと静まり返っていた。阿形の像の発止と広げた掌の指の一本一本に、忿怒(ふんぬ)の気が通っているように思えた。明治維新の戦火がこの地まで及んだことが想像できないほどの静寂が、辺りを支配していた。平成12年作。『河岸段丘』所収。
「十二月」は一年の最終月。新年を迎える準備など何かと済ませるべきことが多く、あわただしさを感じさせる。振り返って、この一年の出来事を改めて思い起こすことも多い。
掲句は飯能の古刹能仁寺での作品。山門を潜るとき、阿形・吽形の二体の仁王像は初冬の冷気の中でしんと静まり返っていた。阿形の像の発止と広げた掌の指の一本一本に、忿怒(ふんぬ)の気が通っているように思えた。明治維新の戦火がこの地まで及んだことが想像できないほどの静寂が、辺りを支配していた。平成12年作。『河岸段丘』所収。
「冬薔薇」は冬になっても花をつけている薔薇のこと。あらかた葉を落として、咲き継いでいる姿は鮮やかで美しい。
掲句は42歳で夭折したイギリスのチェリスト「ジャクリーヌ・デュ・プレ」の名を冠した薔薇を句にしたもの。二つ、三つ咲いたその清楚な白薔薇の印象が、志半ばで病に倒れたチェリストの姿を彷彿させた。令和5年作。
「霜」は晴れた寒い夜、放射冷却により空気中の水蒸気が冷え、地面や物に触れてその表面についた氷のこと。冬季は晴天が続く太平洋側でよく目にする現象。
掲句は、晴れわたった関東平野から西南の方向に望める富士を詠んだ作品。放射冷却で冷え込んだ朝、地面に一面に降りた霜は踏み応えがある。その霜をざくざくと踏み砕く。身の内に生きる力が湧いてくるような気がするのはこんな時だ。平成20年作。『春霙』所収。
茶はツバキ科の常緑低木で、初冬、金色の蘂をもつ白い五弁の花をつける。芳香のある清楚なたたずまいの花。
掲句は、狭山茶の産地に住む私にとって身近な花である茶の花を詠んだ一句。茶の花は冬の季語になっているが、実際に咲き始めるのは10月頃からで、霜が降りる頃には花は生気を失う。折から関東近辺では天候が安定し、空気が入れ替わったようにからりと澄んでくる季節。「八荒(はっこう)」は国の八方の果て・国の隅々の意で、見渡す限り澄みわたった関東平野の大景の中に茶の花を点綴してみた。平成19年作。『春霙』所収。
「惜命忌(しゃくみょうき)」は俳人石田波郷の忌日で、11月21日。昭和44年のこの日、宿痾の肺結核が悪化して56歳で亡くなった。石神井(しゃくじい)は、波郷が昭和33年に江東区砂町から練馬区谷原町に引っ越してきてから親しんだ地で、〈初蝶や石神井川の水の上 波郷〉などの句が残されている。
掲句は石神井公園の池の辺を散策しての一句。生前の石田波郷とは面識もなく、多くの俳句作品を通してその人となりを想像しているだけだが、波郷が生前住み、しばしば歩いたと思われる公園内の水辺に佇むと、半世紀以上前に亡くなった波郷という俳人のことが頻りに思われた。初冬の水辺や木々の梢からは日に日に色彩が失われ、白と黒からなる冬景色に移ろうとしていた。渡ってきたばかりの鴨が水しぶきを上げていた。平成30年作