「霜」は晴れた寒い夜、放射冷却により空気中の水蒸気が冷え、地面や物に触れてその表面についた氷のこと。冬季は晴天が続く太平洋側でよく目にする現象。
掲句は、晴れわたった関東平野から西南の方向に望める富士を詠んだ作品。放射冷却で冷え込んだ朝、地面に一面に降りた霜は踏み応えがある。その霜をざくざくと踏み砕く。身の内に生きる力が湧いてくるような気がするのはこんな時だ。平成20年作。『春霙』所収。
「霜」は晴れた寒い夜、放射冷却により空気中の水蒸気が冷え、地面や物に触れてその表面についた氷のこと。冬季は晴天が続く太平洋側でよく目にする現象。
掲句は、晴れわたった関東平野から西南の方向に望める富士を詠んだ作品。放射冷却で冷え込んだ朝、地面に一面に降りた霜は踏み応えがある。その霜をざくざくと踏み砕く。身の内に生きる力が湧いてくるような気がするのはこんな時だ。平成20年作。『春霙』所収。
茶はツバキ科の常緑低木で、初冬、金色の蘂をもつ白い五弁の花をつける。芳香のある清楚なたたずまいの花。
掲句は、狭山茶の産地に住む私にとって身近な花である茶の花を詠んだ一句。茶の花は冬の季語になっているが、実際に咲き始めるのは10月頃からで、霜が降りる頃には花は生気を失う。折から関東近辺では天候が安定し、空気が入れ替わったようにからりと澄んでくる季節。「八荒(はっこう)」は国の八方の果て・国の隅々の意で、見渡す限り澄みわたった関東平野の大景の中に茶の花を点綴してみた。平成19年作。『春霙』所収。
「惜命忌(しゃくみょうき)」は俳人石田波郷の忌日で、11月21日。昭和44年のこの日、宿痾の肺結核が悪化して56歳で亡くなった。石神井(しゃくじい)は、波郷が昭和33年に江東区砂町から練馬区谷原町に引っ越してきてから親しんだ地で、〈初蝶や石神井川の水の上 波郷〉などの句が残されている。
掲句は石神井公園の池の辺を散策しての一句。生前の石田波郷とは面識もなく、多くの俳句作品を通してその人となりを想像しているだけだが、波郷が生前住み、しばしば歩いたと思われる公園内の水辺に佇むと、半世紀以上前に亡くなった波郷という俳人のことが頻りに思われた。初冬の水辺や木々の梢からは日に日に色彩が失われ、白と黒からなる冬景色に移ろうとしていた。渡ってきたばかりの鴨が水しぶきを上げていた。平成30年作
太平洋側では、冬になると晴れる日が多く、毎日毎日からからに乾いた空を痩せた雲が風に吹かれてゆく。
掲句は父の逝去に際しての諸作の一つ。四十九日の法要を済ませて納骨する頃は、既に11月の立冬を過ぎていた。奥武蔵の杉山檜山に囲まれた墓へ坂を上りながら、母が父の位牌を持ち、私が父の骨壺を抱いた。住職にお経を唱えてもらい、骨壺を納めた。骨壺が穴底のコンクリートに触れた瞬間、こつんと冷たい音がした。山間(やまあい)に既に到来している冬の音だった。平成11年作。『河岸段丘』所収。
「木守(きまもり)」は収穫の後に一つ二つ木に残しておく柿の実や柚子の実などをいう。榠樝(かりん)その他の果樹でも、収穫の後梢に残っている実を見かけることがある。翌年の実生りへの祈りからともいわれる。
掲句は、中央線で笹子口を抜け甲府盆地に入ったときの情景を句にしたもの。家々の庭の柿や柚子、榠樝は、おおかた捥がれて梢に二、三残すのみだったが、初冬の山国の空を背景に、色鮮やかに目に残った。山梨は飯田蛇笏、龍太父子が生涯を過ごした地であり、甲府盆地に入った心の昂ぶりが、この句の弾むようなリズムになって表れていると思っている。平成27年作。