「春隣」は「春近し」ともいい、近づいてくる春を待つ心が込められている冬の季語。
掲句は、冬も終わりの頃、ときどき家に遊びに来る孫を外に連れ出したときの作品。対象は2歳になったばかりの男の子で、日向を歩く鳩や雀を目敏く目で追っていた。彼は泊まりに来るたびに言葉が増え、悪戯が増え、その成長ぶりに驚かされるが、「孫」と表現しては句が甘くなって佳句が得難いとよく言われるので、「みどりご」と普遍的な表現を用いて、孫と祖父という関係を作品から消し去ることにした。令和5年作。
「春隣」は「春近し」ともいい、近づいてくる春を待つ心が込められている冬の季語。
掲句は、冬も終わりの頃、ときどき家に遊びに来る孫を外に連れ出したときの作品。対象は2歳になったばかりの男の子で、日向を歩く鳩や雀を目敏く目で追っていた。彼は泊まりに来るたびに言葉が増え、悪戯が増え、その成長ぶりに驚かされるが、「孫」と表現しては句が甘くなって佳句が得難いとよく言われるので、「みどりご」と普遍的な表現を用いて、孫と祖父という関係を作品から消し去ることにした。令和5年作。
「雪晴」は、雪が降り止んだ後の晴天のこと。特に、たっぷりと雪が降り積もった後の晴天を「深雪晴(みゆきばれ)」という。降り積もった雪に日光が反射して、眩しいほどの明るさ。空は青々と雲一つなく晴れわたっている
掲句は、雪が降り積もった海ノ口牧場(八ヶ岳東麓)の牛舎を訪れたときの作品。既に空には雪雲の名残はなく、眩いばかりの雪後の光が辺りに満ちていた。ひと気ない牛舎の軒下には、夜間の凍結を防ぐためか、水道の蛇口から水が流れ落ちるにまかせてあった。平成6年作。『河岸段丘』所収。
「久女の忌」は1月21日。杉田久女は明治23年鹿児島生まれ。高浜虚子に師事し「ホトトギス」で活躍したが、俳句への一途な情熱と直情径行の個性は周囲の理解を得られず、ホトトギス同人を除名され、失意のうちに昭和21年のこの日、筑紫保養院で病没した。
掲句は、咲いていたときの姿を保ったまま枯れた草の姿に、久女の悲運の生涯を重ね合わせた作品。「名草枯る」といっても実際に句に詠むときは具体的な草の名前を詠み込むことが多い。私が実際に目にしたのはすっかり枯れて色の失せた鶏頭だが、「枯鶏頭」では草の個性が出過ぎて表現したいことが伝わらないと考えた。令和5年作。
「枯木」(冬季)は、枯死した木ではなく、冬に葉を落として枯れたように見える木のこと。落葉樹の冬の姿だ。
掲句は、常磐木(ときわぎ)すなわち常緑樹と落葉樹の冬の姿の違いに興を感じての作品。落葉樹が葉を落とすさまは、寂寥感に一抹の華やぎの交じる晩秋初冬の明るい光景。落葉樹が何もかも捨てて裸木となってそこに立ち尽くす姿は本格的な冬の到来を感じさせる。一方、常緑樹は日々の寒気にくすんだような色合いを呈しながら、そのままの姿で冬を耐え抜く。このような木々の姿には、生き方の違いまで感じられて興味深い。令和4年作。
「春隣(はるどなり)」は冬も終わりになる頃の春の気配を捉えた季語。「春近し」ともいう。1月の下旬になると、降霜や結氷など夜から朝にかけての寒さは相変わらず厳しいが、寒さの緩む日も交じるようになる。日の光は日一日と力強さを増してくる。
掲句は、妻をアシストして自宅の厨房に立つようになってからの作品。「笹掻き(ささがき)」はゴボウなどを笹の葉のように細く薄くそぎ切ること。妻が真水に削ぎ落す牛蒡の匂いが厨房に漂っていた。健康な食欲をそそる匂いだった。いわゆる「台所俳句」に属する作品といえる。令和4年作。