「春待つ」は春の到来を待ち望むこころもちを表す冬の季語。同じ時季の季語「春近し」よりも主観的で、待ちわびる気持ちが強い。
冬も終わりに近い頃、春を待ちわびる自らの心の動きや五感の働きを省みてできた作品。この時季、春の気配は日差しや木立など目に見えるものよりも、一段と活発になってくる鳥の声に感じ取れることが多い。昼、鵯や雀など身近な鳥の声に春の兆しを感じ取っていた我が耳が、夜眠っている間も覚醒したまま辺りに耳を澄ませているような気がした。春を待ちわびる思いの故だろう。令和5年作。
「春待つ」は春の到来を待ち望むこころもちを表す冬の季語。同じ時季の季語「春近し」よりも主観的で、待ちわびる気持ちが強い。
冬も終わりに近い頃、春を待ちわびる自らの心の動きや五感の働きを省みてできた作品。この時季、春の気配は日差しや木立など目に見えるものよりも、一段と活発になってくる鳥の声に感じ取れることが多い。昼、鵯や雀など身近な鳥の声に春の兆しを感じ取っていた我が耳が、夜眠っている間も覚醒したまま辺りに耳を澄ませているような気がした。春を待ちわびる思いの故だろう。令和5年作。
「霙(みぞれ)」は雨と雪が同時に入り混じって降ること。地表近くの気温がそれほど低くない冬の初めや終わりに降ることが多い。
地震と水害は、近年毎年のように各地を襲う災害の中でも、とりわけ人々の生活に壊滅的なダメージを与える。掲句はそうした被災地の光景を思い浮かべてできた作品。霙が降り続いている瓦礫の中に、幼い児が日頃乗り回していた三輪車が見える。その子供は今どうしているだろうか。無事でいるだろうか。暗く積み上がった瓦礫の山に、霙は非情の冷たさでびしゃびしゃと降り続ける。災害が続く何とも遣り切れない思いを、「霙ふる」の措辞に託したつもりである。令和6年作。
「霰(あられ)」には、雪の結晶に細かな水滴がついて固まった雪あられと小さな氷の粒である氷あられがある。霰の粒は地面や草木にぱらぱらと音を立てて降り、はじけて転がる。
掲句は夜ふけの霰の音に耳を澄ませながら、平成30年2月に亡くなった金子兜太を偲んだ作品。兜太は亡くなるまで熊谷に住み、〈暗黒や関東平野に火事一つ 兜太〉などの句がある。同じ関東平野に住みながら、生前の兜太に見(まみ)える機会は終に無かった。令和3年作。
「オリオン」は代表的な冬の星座。ギリシア神話の巨人狩人オリオンの名に由来する。赤色のベテルギウス、青白色のリゲル、二つの1等星を対角に大きな四辺形を形成する。また、オリオンの腰の帯を示す三つの星は誰にでも見つけることができる。
掲句はオリオンの四辺形の「盾(たて)」が吹き澄む夜空に冬の到来を感じてできた作品。関東平野を乾いた風が吹きわたると、夜空に沢山の星がまたたく。未明の頃、オリオンはやや西に傾いた位置にかかり、その南にはシリウスが青白い光を放つ。関東平野にもとうとう冬がやってきたのだ。ただし、この句の主季語は「冬に入る」。令和4年作。
「十二月」は一年最後の月。年内に済ませることが多く、何かと気忙しさを感じる月。他方では、過ぎ去ろうとしている一年をひとり振り返る月でもある。
掲句は、来る日も来る日も道の辺に立ち続けている木に人の気配を感じ、じっと佇んでいる人に木の気配を感じてできた作品。行きずりにふと感受したことをそのまま句にしたのだが、この上五中七のフレーズが活きるかどうかは、ひとえに季語の適否にかかっている。令和5年作。