「うそ寒」は、秋半ばから晩秋にかけて感じるうっすらとした寒さのこと。なんとなく感じる寒さや、心細さを伴う寒さを表す。
掲句は、秋の夜更けに「うそ寒」を感じながら独り厨房に立つ男性の、厨房での一コマ。あら汁は、魚の頭や骨などのアラを利用した汁物のこと。魚の臭みを消して風味を増すために、料理酒を使うことが折々あるが、作者は、たまたま手元にあったコップ酒を使ったのである。そこに男性料理特有の豪快な趣がある。『俳壇』2025年12月号。
「うそ寒」は、秋半ばから晩秋にかけて感じるうっすらとした寒さのこと。なんとなく感じる寒さや、心細さを伴う寒さを表す。
掲句は、秋の夜更けに「うそ寒」を感じながら独り厨房に立つ男性の、厨房での一コマ。あら汁は、魚の頭や骨などのアラを利用した汁物のこと。魚の臭みを消して風味を増すために、料理酒を使うことが折々あるが、作者は、たまたま手元にあったコップ酒を使ったのである。そこに男性料理特有の豪快な趣がある。『俳壇』2025年12月号。
「栗」はブナ科の落葉高木の実で、棘のある毬(いが)の中で育ち、成熟すると毬が裂けて実がこぼれ落ちる。鬼皮、渋皮を剥いたあと茹でるなどして食する。
掲句は、栗を剝いている自分自身に目を向けた作品。台所俳句といってもいいが、作者の目は厨房よりも、自らの内面に向けられている。自分自身にないものを求めて彷徨うのが人の一生ともいえ、「私以外の私になれず」との認識は、当然のようにも見えるが、中々到りつけない境地。人生の厳然たる真実でもある。栗を剥くという日常の営みが、作者の思いを支えている。『俳壇』2025年12月号。
「冬来る」は冬が到来すること。二十四節気の一つである「立冬」(11月8日頃)の傍題。まだ秋の気配が残る時期だが、朝晩の冷え込みや時折訪れる雨風に冬の訪れを感じる。
掲句は明け暮れ山に囲まれて暮らす作者が、四囲の山々を眺めての作品。「ひしめく」との山々に対する形容は、平明だが平凡ではない。その一語により、途切れなく連なる山々の姿が見えてくる。作者も山々も、張りつめた思いで、冬の到来を受け止めているのだ。『俳壇』2025年12月号。
「橡の実」はトチノキの実。丸く厚い殻の中に栗に似た種がある。トチモチなどにして食される。トチノキは、全国の低山の渓流沿いに分布する落葉樹。公園などにも植えられる。
掲句は実を落とした晩秋のトチノキを詠んだ作品。秋深む頃、山中のトチノキが熟れた実を落とす。実が落ちた後、雑木山は再び静まり返る。トチノキも一仕事を終えたあと、眠りに就いたようだ。今日は風もなく、雑木山は一歩ずつ冬に近づいて行く。『俳句界』2025年11月号。
「新社員」は新しく企業に入社した社員のこと。近年は転職する人も多いが、学校を卒業したばかりの、希望と不安を抱いて入社してくる初々しい「新社員」を思い浮かべたい。
掲句は4月頃街中で見かける「新社員」を詠んだ作品。「新社員」を「食パンのやうな白さ」と形容したところに、現代の若者に向けられた作者の辛口の眼が感じられる。ふわふわした白い食パンは、確かに見た目清潔感があり食べやすいが、全粒粉の小麦色をしたパンに比べて栄養価は乏しく食べ応えがない。そんな若者観を秘めた形容だと思う。おそらくは見たまま感じたままの即吟だろうが、この形容には作者の批評眼と鮮度のいい感性が活きている。『俳句』2025年11月号。