カトリックでは五月をマリアの月(聖母月)と定めている。そして、マリアを崇敬賛美し、聖歌を歌い、祈祷をささげるこの月を、俳句では「聖五月」と称する。風薫る麗しい季節である。
掲句は、ミサをあげたり、洗礼、聖体などの儀式を行う神父の姿を間近に見て、その腕の毛深さに改めて気づいたという情景。西洋人の成人男性の腕の毛深さが、初夏の明るい光の中で、クローズアップされて見えてくる。聖職者である神父も、ひとりの生身の男性であることを発見した作者の驚きが伝わってくる作品。『俳句』2023年8月号。
カトリックでは五月をマリアの月(聖母月)と定めている。そして、マリアを崇敬賛美し、聖歌を歌い、祈祷をささげるこの月を、俳句では「聖五月」と称する。風薫る麗しい季節である。
掲句は、ミサをあげたり、洗礼、聖体などの儀式を行う神父の姿を間近に見て、その腕の毛深さに改めて気づいたという情景。西洋人の成人男性の腕の毛深さが、初夏の明るい光の中で、クローズアップされて見えてくる。聖職者である神父も、ひとりの生身の男性であることを発見した作者の驚きが伝わってくる作品。『俳句』2023年8月号。
雨蛙は無尾目アマガエル科の小形の蛙で、葉や草の上に棲む。皮膚の色が、周りに合わせて緑や灰褐色に変わる。雨が近づくときなどによく鳴く。
掲句は、瑞々しい草木の緑の中の雨蛙を描き出す。とはいえ、句の焦点は「雨蛙」よりも「青世界」にあり、「雨蛙」は「青世界」に精彩を加えるための点景と言っていい。草木を濡らして時折通り過ぎる雨の音も聞こえてきそうな作品だ。『俳句』2023年8月号。
サングラスは、夏の強い太陽光線から目を保護するためにかける、レンズに色のついた眼鏡。街中や行楽地では、ファッション性を高めたお洒落なサングラスをかける人も多い。サングラスをしていると、目の表情が隠されるため、人混みにいても自分だけの世界に浸れるし、人の目を気にすることなく振舞えるような解放感がある。
掲句は、サングラスのもつそうした心理的な特性が表れている作品。町中で毎日人間と関わり合いながら暮らして年齢を重ねてくると、ときに人間が疎ましくなることがある。そういう時はサングラスをして他者との間に心理的なバリアーを築く。気持ちが楽になる。『俳句』令和5年8月号。
「とんぼうの空」は沢山の蜻蛉が群がり飛ぶ空のこと。秋になると、郊外では、「とんぼうの空」といえるような空に幾度か会う。群れの中には、ヘリコプターのように空中に止まるものもいるし、ずんずんと高度を上げて青空に紛れてしまうのもいる。
掲句は、空壜を通して「とんぼうの空」を見ているという。ただ事といえばただ事だが、その無心な動作が、蜻蛉という昆虫のもつ親しさ、懐かしさを浮かび上がらせる。『俳句』令和5年8月号。
百日草はキク科の一年草。開花期が長いことからこの名がある。暑い夏をとおして咲き続け、冬の初めまで咲き残っている。
掲句は、生活者としての日常の機微を掬い上げた作品だ。月火水木金土日の一週間を総称して七曜というが、何かと予定が立て込んで忙しなく過ごす日々の中で、日曜だけがぽっかりと予定がないままだという。少し寂しく物足りない気がするが、一方では気ままに過ごす日曜も悪くない。「ぽつかりと」との軽い擬態語が、そんな心情を想像させる。暑い日々はまだまだ続く。『俳句』2023年8月号。