春の山は明るい光と温かな空気に包まれて、ものの命に溢れている。冬の間、眠っていたものたちが一斉に目覚めて活動を始める。
掲句は、「春山」を眼前にして、深々と胸に空気を吸い込んだときの感触を句にしたもの。命あるものたちが活動する「春山」が丸ごと肺腑の中に収まったとの表現からは、春を迎えた喜びが実感として伝わってくる。「虚に居て実を行う」という芭蕉の言葉も思い起こされる。『俳壇』2024年2月号。
春の山は明るい光と温かな空気に包まれて、ものの命に溢れている。冬の間、眠っていたものたちが一斉に目覚めて活動を始める。
掲句は、「春山」を眼前にして、深々と胸に空気を吸い込んだときの感触を句にしたもの。命あるものたちが活動する「春山」が丸ごと肺腑の中に収まったとの表現からは、春を迎えた喜びが実感として伝わってくる。「虚に居て実を行う」という芭蕉の言葉も思い起こされる。『俳壇』2024年2月号。
鵙(もず)は繁殖期を過ぎて秋になると、縄張りを主張して高い梢などで鋭い声を放つ。鵙の声が澄んだ大気にひびく、その頃の晴れわたった日のことを「鵙日和」という。
掲句は、鵙日和の青々とした空を、「青空の裏も青空」と表現したところがポイントだ。実際、その頃の空は、空の向こう側にも青々とした空が広がっているのでは、と思わせるようなからりと澄み切った青さだ。感じ取ったことを的確に見える形で表現した一句といえる。『俳壇』2024年2月号。
「年来る」は新年の傍題。始まったばかりの年のこと。年の始め。一方、「行く年」は過ぎ去ろうとしている一年を指す。いずれも「年」を擬人化した表現。
掲句は、大晦日から元旦を迎えるまでの時の流れの中で、「年」の歩みに対する感触・感慨を作品化したもの。作中には「行く年」「年来る」という二つの季語が用いられているが、「年来たる」との年初の思いが句の中心にあるだろう。「年」という目に見えない巨大な存在があって、旧年から新年へと歩みを進めていく、その歩みが同じ歩幅だというのだ。淡々として、しかも冷厳な月日の歩みを思わせる。『俳句界』2024年1月号。
冬は、立冬(11月8日頃)から立春の前日(2月3日頃)までの期間のこと。「冬の午後」といえば、冬の一日の昼過ぎの時間帯をさす。
掲句は冬の午後を読書に過ごす静かな心持が伝わってくる作品。冬の日暮れの早さには急かされることが多いが、掲句には、まだ日暮れに間のあるゆったりと充実した時間の流れが感じられる。一日の残りの時間を惜しむ心持も漂っているようだ。『俳壇』2024年1月号。