稲が穂に綿毛のような花をつけるのは初秋の頃。まだ暑さが厳しいが、秋の気配も少しずつ感じられてくる。開花時間は2、3時間で、その間に風によって受粉が行われる。人目につかない密やかな光景だが、その年の米の出来高と直結する植物の営みだ。
掲句は、「稲の花」のそうした風情が活かされている作品。真昼間に稲を吹く風は、夏から秋への確かな季(とき)の歩みを感じさせる。風のこゑや地のこゑには、豊作への人々の祈りも込められているようだ。『俳句』2023年9月号。
稲が穂に綿毛のような花をつけるのは初秋の頃。まだ暑さが厳しいが、秋の気配も少しずつ感じられてくる。開花時間は2、3時間で、その間に風によって受粉が行われる。人目につかない密やかな光景だが、その年の米の出来高と直結する植物の営みだ。
掲句は、「稲の花」のそうした風情が活かされている作品。真昼間に稲を吹く風は、夏から秋への確かな季(とき)の歩みを感じさせる。風のこゑや地のこゑには、豊作への人々の祈りも込められているようだ。『俳句』2023年9月号。
銀杏はイチョウの種子のこと。晩秋の頃、イチョウの実は熟して落ちる。多肉質の外皮を除いて、白くて固い木質の殻を割り、中の胚・胚乳を食べる。そのまま焼いてもいいし、茶碗蒸しに入れるのも美味しい。
銀杏も秋の季語だが、掲句は月の句。眼前の澄み切った月を「剥きたての銀杏」に譬えたところが新鮮だ。月を眺めていて、やや青みがった銀杏の美しい色合いを思い起こしたのは、作者にも銀杏を剝いて料理した経験があるからだろう。日常のどのような経験も俳句の肥やしになることを、この句を読んで改めて認識する。『俳句』2023年9月号。
秋灯(しゅうとう)は秋の夜の灯火のこと。ひんやりと澄んだ夜気の中で卓上の灯をともす。読書や勉強に過ごすのに適した秋の夜である。
掲句の対象は小学年低学年くらいまでの児童だろう。宿題だろうか、好きな絵を描いているのだろうか。夢中になって何か書いている子供。鉛筆の文字や絵に肘(ひじ)が触れていたため、指や手はおろか、肘まで真っ黒に汚れてしまっている。誰もが身に覚えがあることだが、「秋灯下」と据えることで、季節感豊かな微笑ましい一句になった。『俳句四季』2023年9月号。
「月今宵(つきこよい)」は中秋の名月のこと。陰暦8月15日の月である。月下に佇めば、月光が秋草を照らし出し、虫の音が競い合うように聞こえてくるだろう。
掲句は中秋の名月の夜空を描き出す。「雲一切流し切つたる」の主語は月である。月が、自らの力で、名月の夜の妨げになる雲を流し切ったというのだ。科学的にはあり得ないのだが、こう表現されてみると、自然のダイナミズムを感じさせるところが表現の妙である。『俳壇』2023年9月号。
「八月」は8月8日頃に立秋を迎えることから秋の季語とされている。依然として暑さが厳しい日々が続き、原爆忌、終戦日、お盆と、物故者や祖先を偲ぶ機会も多い。相変わらず残暑は厳しいが、徐々に秋の到来を感じることも増えてくる。
掲句は、八月の印象を「屍(しかばね)が傷む」季節と大胆に表現した。原爆投下や空襲の惨状は、直接経験していなくても、写真や映像によって脳裏に焼き付いている人は多いだろう。八月の極暑の中で傷んでいく屍のイメージは、生々しく読む者に迫って来る。『俳壇』2023年9月号。