冬は、立冬(11月8日頃)から立春の前日(2月3日頃)までの期間のこと。「冬の午後」といえば、冬の一日の昼過ぎの時間帯をさす。
掲句は冬の午後を読書に過ごす静かな心持が伝わってくる作品。冬の日暮れの早さには急かされることが多いが、掲句には、まだ日暮れに間のあるゆったりと充実した時間の流れが感じられる。一日の残りの時間を惜しむ心持も漂っているようだ。『俳壇』2024年1月号。
冬は、立冬(11月8日頃)から立春の前日(2月3日頃)までの期間のこと。「冬の午後」といえば、冬の一日の昼過ぎの時間帯をさす。
掲句は冬の午後を読書に過ごす静かな心持が伝わってくる作品。冬の日暮れの早さには急かされることが多いが、掲句には、まだ日暮れに間のあるゆったりと充実した時間の流れが感じられる。一日の残りの時間を惜しむ心持も漂っているようだ。『俳壇』2024年1月号。
鵙は、繁殖期が過ぎて秋になると、縄張りを主張して高い梢などで鋭い鳴き声を上げる。その声は澄んだ大気によく透る。秋の到来を感じさせる鳴き声だ。
掲句は「戰」の文字に口の字が二つあるとの、文字上の気づきを述べながら、戦争の絶えないこの地球上の現実に対する、作者の嘆きをそこはかとなく感じさせる作品。戦争を憤り、戦禍の惨状を嘆いても、そのストレートな表出だけでは文学作品にならないことは、実作者なら誰でも承知していることだ。この句は、あからさまな主観や感情の表出を避けながら、戦争というこの世の不条理に無関心ではいられない作者の心の内を覗かせている。鵙の無心の鳴き声が救いになっているようにも思える。『俳句』2023年12月号。
陰暦9月13日の夜の月を「後の月」といい、枝豆や栗を供えるので「豆名月」「栗名月」ともいう。秋が深まる頃であり十五夜の華やかさはないが、その冷え冷えと寂びた雰囲気を楽しむ。
掲句は栗名月の夜、月明かりに誘われて外をそぞろ歩いているところ。名月を楽しみながら歩いている人の誰もが、明日のことは知る由もない。誰にも不意に訪れる死ということを思うのは、晩秋の澄み切った月光の故だろうか。『俳句四季』2023年11月号。