「かいつぶり」は小形の水鳥で、湖沼や川に棲み、水に潜って小魚などを捕食する。人をそれほど恐れない愛嬌者だが、縄張り意識も旺盛だ。
掲句は日もすがら水に潜っては浮かぶ「かいつぶり」を活写した作品。潜るときではなく、浮かび出た瞬間を捉えた。濡れてひかる「かいつぶり」の小さいつむり(頭)に、春も間近いうらうらとした日差しがさんさんと降り注ぐ。『俳句』2024年1月号。
「かいつぶり」は小形の水鳥で、湖沼や川に棲み、水に潜って小魚などを捕食する。人をそれほど恐れない愛嬌者だが、縄張り意識も旺盛だ。
掲句は日もすがら水に潜っては浮かぶ「かいつぶり」を活写した作品。潜るときではなく、浮かび出た瞬間を捉えた。濡れてひかる「かいつぶり」の小さいつむり(頭)に、春も間近いうらうらとした日差しがさんさんと降り注ぐ。『俳句』2024年1月号。
「雁風呂(がんぶろ)」は、雁が北へ帰ったあと、海岸に落ちている木片を拾い、それを薪にして焚いた風呂のこと。木片は雁が渡りの途中海上で休むために必要としたもので、残された木片は雁が死んだ数であるとして供養のために風呂をたてたという。東北外が浜の風習という。
掲句は「雁風呂」という季語から発想した作品。「雁風呂」は北辺の地の習俗で、死んだ雁を供養する意味合いがあるが、作者は、雁に限らず、人や生きとし生けるものの死に思いを広げた。「死とは」と一般化した表現ぶりだが、作者の胸中には、死してもあの世で生き続けている大切な人の面影があるのだろう。『俳句四季』2024年2月号。
夏には青々と葉を広げていた芭蕉も、冬になると葉がぼろぼろに枯れ、見る影もない姿となる。しかし、地下茎は枯死することなく越冬し、春先になると新しい茎と葉を出す。
掲句は、「枯芭蕉」の蕭然と枯れ尽くした姿の中に、生きる「意志」を汲み取った作品。葉は枯れてだらりと垂れ下がっても、茎は直立のまま立ち続ける芭蕉。作者はその姿から「真つ直ぐに立つ意志」を掴み取った。そして、それは作者自身の志(こころざし)の反映でもある。対象に向けられた観照の深さの賜物だ。『俳句界』2024年1月号。
「月今宵(つきこよい)」は、陰暦8月15日に賞する満月のこと。澄みわたる夜空に輝く満月を仰ぐとき、誰もが、生きてこの夜を迎えられた喜びを感ずるとともに、経てきた月日を振り返るのではないだろうか。
掲句は、名月の夜、ふとひらいた古いアルバムの自らの姿に、月日の流れを否応なく感じたとの句意。古いアルバムの若かりし自分と現在の自分との落差が、作者にとって想像以上のものでショックだったことが、「おそろし」の一語に集約されている。名月を賞する喜びとともに、月日の流れの非情さを感じさせる作品。『俳壇』2024年1月号。
百閒忌は小説家・随筆家・俳人であった内田百閒の忌日で4月20日。幻想的な感覚を湛えた作風で知られた。昭和46年のこの日死去。
掲句は「前脚をきれいにたたむ」との措辞がさまざまな想像を呼び起こす作品。カマキリなどの眼前の小動物を写生したとも、小動物に生まれ変わった自らの動作を詠んだとも取れ、そのいずれにも取れるところにこの句の妙味がある。ある朝目覚めると巨大な虫になっていたというカフカの『変身』の主人公になった気分もあろうか。『俳壇』2024年2月号。