「雪」は雪月花の雪であり、春の花、秋の月と並んで冬の美を代表する。昔から雪は賞美の対象であり、豊年の吉祥でもあった。一方、日本海沿岸の豪雪地帯では白魔と恐れられる。
掲句は、肩などに降りかかった雪を払う手つきに想を得た作品。その手の形が、祈りのかたちに見えたという。祈りは、神や神格化されたものに対し、世界の安寧や他者への想い、あるいは何かの実現を願う行為。天地の運行を司る大きな力に対する祈るような想いが、この句の背景には感じられる。『俳句』2025年12月号。
「雪」は雪月花の雪であり、春の花、秋の月と並んで冬の美を代表する。昔から雪は賞美の対象であり、豊年の吉祥でもあった。一方、日本海沿岸の豪雪地帯では白魔と恐れられる。
掲句は、肩などに降りかかった雪を払う手つきに想を得た作品。その手の形が、祈りのかたちに見えたという。祈りは、神や神格化されたものに対し、世界の安寧や他者への想い、あるいは何かの実現を願う行為。天地の運行を司る大きな力に対する祈るような想いが、この句の背景には感じられる。『俳句』2025年12月号。
「枯木星」は葉が落ちて見通しが良くなった枯れ木の枝越しに見える星のこと。「枯木」の傍題。冬は一年中で 星がもっとも輝く季節。
掲句は、地球の外のはるか遠くから眺めたら、我々の住んでいる地球も、枯木星の一つではないかとの句意。落葉樹の梢に現れた星々を仰ぎながらの、友人との会話が思われる。口語調をそのまま取り入れたのも効果的だ。『俳句界』2025年12月号。
「渡り鳥」は季節によって生息地を変える鳥を総称するが、俳句の季語としては、秋に北方から日本へ渡ってくる冬鳥を指す。鴨や雁などの大型の水鳥から、鶫、鶸、鶲など秋に渡ってくる鳥の種類は多い。
掲句は、朝の静けさの中で、鳥が渡ってくる頃の空を仰いでの作品。「きりぎし」は漢字表記では「切岸」で、切り立った険しい岸、断崖、絶壁のこと。中天に長く延びる雲が、鳥たちが羽を休める切岸のように見えたという。「きりぎし」との仮名書きも、雲の柔らかさを想像させる適切な配意だ。『俳句』2025年12月号。
敬老の日は9月の第3月曜日で、国民の祝日の一つ。長年働いて社会や家族を支えてく れたお年寄りに感謝し、その労をねぎらう日。
掲句は、厨房に立つ作者自身を詠んだ作品。もやしの髭(ひげ根)は食べられるが、食感や見た目を良くしたい時などは取り除く。敬老の日、作者はいつもと変わらずに厨房でもやしの髭を取っているのだ。只事すれすれの句だが、「もやしの髭」に軽いユーモアと自嘲が滲む。「敬老の日」を正面から詠んでも佳句になり難いが、掲句はそのハードルを越えた感じだ。日々のささやかなヒトやモノとの出会いの中に俳句の素材が潜んでいることを教えてくれる一句。『俳句界』2025年12月号。
「隙間風」は冬の寒い日に、家屋の障子や戸の隙間から吹き込んでくる冷たい風のこと。古い家屋や、冬支度が十分でない建物で感じることが多い。隙間に目張りをしてこれを防ぐ。
掲句は、劇場での作品。奈落は、劇場の舞台の下にある地下空間のことであり、舞台袖は、観客席からは見えない舞台の両脇にある奥まった空間のこと。どちらも観客は通常意識しないが、舞台の運営にとっては重要な空間だ。劇が演じられている最中、舞台関係者、或いは観客の一人としてそこに踏み込んだ作者は、吹き抜けてゆく冷たい隙間風を感じたのだ。恐らくは観客席は暖房完備で、隙間風とは無縁のぬくぬくした空間だったのだろう。『俳句四季』2025年12月号。