「落葉」は落葉樹が落とした木の葉ばかりでなく、木の葉の散る様や地面や水面に散り敷いた様をも表わす。散り敷いた木の葉は、冬が深まるにつれて、霜や雨で腐り土に還っていく。
掲句は地面に降り積もる落葉が、作者の経てきた月日そのままだと詠む。月日は流れ去っていくが、作者にとって、降り積もるものでもあるのだ。このような時間の把握は必ずしも作者のオリジナルなものではないが、降り積もる落葉と月日を等量のものとして結び付けた潔さが、この句に格調の高さもたらしている。『俳句四季』2026年2月号。
「落葉」は落葉樹が落とした木の葉ばかりでなく、木の葉の散る様や地面や水面に散り敷いた様をも表わす。散り敷いた木の葉は、冬が深まるにつれて、霜や雨で腐り土に還っていく。
掲句は地面に降り積もる落葉が、作者の経てきた月日そのままだと詠む。月日は流れ去っていくが、作者にとって、降り積もるものでもあるのだ。このような時間の把握は必ずしも作者のオリジナルなものではないが、降り積もる落葉と月日を等量のものとして結び付けた潔さが、この句に格調の高さもたらしている。『俳句四季』2026年2月号。
「梅探る」「探梅(たんばい)」は、早咲きの梅を求めて寒い季節に山や野原を歩き回ること。春の兆しを求めて、冬の終わりに、ひっそりと咲き始める梅の花を見つけ出そうと山野に入る。
掲句はまだ冬枯れの山野を、一輪二輪咲き始める梅を求めて歩き回っている情景。辺りは満目の冬景色で、木々を揺らして頭上を吹き過ぎる風は相変わらず荒々しい。「尖りたる風」は、この時季の風の感触そのもの。冬の最中に梅を探るのは、春を待つ心の表れでもあろう。『俳句四季』2026年2月号。
「ショール」は防寒やファッションのための女性用の衣類で、肩にかけて用いる。材質は絹・羊毛などが一般的。春先の寒さをしのぐための薄手のショールが「春ショール」(春季)。
掲句は、外出した先で、乱れたショールを掛け直したとき、振り仰ぐと大空に鳶が輪を描いていたとの句意。身だしなみに気を配りながらも、自らの身辺から視線を離して「鳶の輪」を仰ぐところに、春を待つ心が覗く。蛇足だが、近ごろは「ショール」をしている女性をとんと見掛けなくなった。『俳句四季』2026年2月号。
「冬日和(ふゆびより)」は、本格的な冬の寒さの中で訪れる穏やかな晴天のこと。小春日が初冬の季語であるのに対し冬日和は仲冬の季語。
掲句から、私は、檻にニワトリの雄ばかりが飼われている場面を想像したが、ニワトリに限定して観賞する必要はないだろう。いずれにしても、永年籠や檻に入れて飼っている動物が雄ばかりだという。飼い始めは雄雌の番いだったのが、何らかの事情で雄ばかりが生き残るといった状況だろうか。人間の都合でそうした状況に置かれた動物たちは、不満があっても、与えられた環境に合わせて仲良く生きていくしかない。そんな動物たちを「冬日和」の暖かな日差しが柔らかく包む。『俳句四季』2026年2月号。
「ヒヤシンス」はアジア原産のユリ科の球根性多年草。晩春の頃、葉の中央に茎が直立し、吊鐘形の小花を総花状に咲かせる。花壇や鉢に植えたり、水栽培にする。
掲句は眼前の「ヒヤシンス」から、脈診(みゃくしん)の指の硬さを思ったとの句意。脈診は、手首の動脈の拍動を、指で押さえながら診察することで、洋の東西を問わず行われている。かつて医師から受けた脈診の記憶は、指先の硬さ冷たさとして、作者の心に刻み込まれていたのだ。眼前の「ヒヤシンス」のまだ咲き始めの硬い印象を脈診に結び付けたのは、作者の柔軟な詩心の賜物。『俳壇』2026年2月号。