「原爆忌」は8月6日及び同月9日。第二次世界大戦末期の昭和20年、アメリカは8月6日広島市に、続いて9日長崎市に原子爆弾を投下した。「広島忌」「長崎忌」などともいう。
掲句は「原爆忌」「広島忌」などの既存の季語を用いずに、8月6日の広島への原爆投下を詠んだ作品。原爆犠牲者の墓に詣でたとき、目に触れるどの墓碑も、亡くなった年月日が皆同じだったという。作者は、ことごとく同じ没年月日が刻まれていることに驚き、改めて原爆投下の惨たらしさに思いを致したのだ。『俳壇』2025年8月号。
「原爆忌」は8月6日及び同月9日。第二次世界大戦末期の昭和20年、アメリカは8月6日広島市に、続いて9日長崎市に原子爆弾を投下した。「広島忌」「長崎忌」などともいう。
掲句は「原爆忌」「広島忌」などの既存の季語を用いずに、8月6日の広島への原爆投下を詠んだ作品。原爆犠牲者の墓に詣でたとき、目に触れるどの墓碑も、亡くなった年月日が皆同じだったという。作者は、ことごとく同じ没年月日が刻まれていることに驚き、改めて原爆投下の惨たらしさに思いを致したのだ。『俳壇』2025年8月号。
蒲公英(たんぽぽ)は花の後綿状の種子になり、風に乗って四方に散らばる。「蒲公英の絮(わた)」(春季)は蒲公英の傍題。
掲句は「旅程」を離れてゆく蒲公英の綿毛を詠む。「旅程」は作者の辿りつつある旅の道のりとでも解しておきたい。目をとめた蒲公英の綿毛が、作者の旅路から逸れて彼方へと飛び去ってゆくのだ。作者の前方に旅路が延びているように、蒲公英の綿毛も果てしない旅の途中にある。それを見送る作者の胸中の淡い旅愁も感じ取れる。『俳句四季』2025年6月号。
「雪加(せっか)」はセッカ科の鳥類で、本州以南の低地から山地の草原で繁殖し、冬期は西日本の暖かい地域に移動する。葉にいる昆虫等を捕食する。
掲句は、湿原の白骨樹(はっこつじゅ)に来て啼く「雪加」を詠んだ作品。夏の繁殖期、己の縄張りを他の仲間に知らせるために啼いているのだ。朽木の先に来てヒッヒッヒッと弾力のある声で高らかに啼く雄の「雪加」の姿が目に浮かんでくる。白骨樹といえば、風雪に晒された朽木の白々とした残骸が思われて印象深い。『俳句』2025年8月号。
「炎天」は夏の太陽が座を占めて、焼け付くような空のこと。赫灼と照る太陽に輝く空は燃えるばかり。
掲句は、炎天を捲(めく)ると、「大笑面(だいしょうめん)」が現れるだろうとの句意。「大笑面」は「暴悪大笑面」のことで、十一面観世音菩薩像が頭部に戴く11面のうち、背後に向けて破顔している面を指す。悪や悪行に対する怒りを通り越した笑いを表現しているという。「大笑面」も折りからの厳しい暑さを笑い飛ばそうとしているかのようだ。『俳句』2025年8月号。
ソーダ水は清涼飲料水のこと。炭酸水に砂糖や果汁を加えたすっきりとした飲み物。クリームソーダ、メロンソーダなど種類もいろいろ。
掲句は、暑さの最中、ソーダ水の入った瓶の栓を抜いたところだろう。栓を抜くと同時に、中の炭酸水が勢いよく噴き出す。夏の屋外などで日常よく目にする光景だが、その光景を目にしたとき、作者は、今年(令和7年)が昭和になって百年目に当たることに心づいた。昭和に改元して以降経てきた歳月の起伏が、一瞬のうちに作者の脳裏をかすめたのだ。『俳句』2025年8月号。