「滴り(したたり)」は山中の岩の裂け目から、或いは蘚苔類を伝って、滴々と、また、細く糸のようにこぼれ落ちる水をいう。山道へ分け入って疲れを覚える頃、滴りの一滴一滴は涼感を誘う。
掲句は円(つぶ)らかな「滴り」に健やかな命のかがやきを感受しての作品。この句の背景には、作者自身が、或いは身近な人が健やかに齢を重ねていることに対する自祝の思いがあるのだろう。眼前の「滴り」は、命の光を放ちながら一滴また一滴とこぼれ落ちてゆく。『俳壇』2025年10月号。
「滴り(したたり)」は山中の岩の裂け目から、或いは蘚苔類を伝って、滴々と、また、細く糸のようにこぼれ落ちる水をいう。山道へ分け入って疲れを覚える頃、滴りの一滴一滴は涼感を誘う。
掲句は円(つぶ)らかな「滴り」に健やかな命のかがやきを感受しての作品。この句の背景には、作者自身が、或いは身近な人が健やかに齢を重ねていることに対する自祝の思いがあるのだろう。眼前の「滴り」は、命の光を放ちながら一滴また一滴とこぼれ落ちてゆく。『俳壇』2025年10月号。
「秋澄む」は秋の澄んだ大気をいう。秋になると、大陸上空の乾燥した冷たい空気が流れ込むため、遠くまで澄みわたってくる。目に映るもの、耳に聞こえるものの音がなべて澄んで感じられる。
掲句は、目に映るもの、耳に聞こえるものが澄んでくる秋ただ中にあって、空に「水の声」を聞き留めているとの句意。地上を流れ下る川の音とともに、空にも「水の声」がするとの感受には、秋たけなわの気分が溢れている。『俳句界』2025年9月号。
「秋灯(あきともし)」は秋の夜の灯火のこと。シュウトウとも読む。灯火の下で、長い夜を独り静かに味わい、友と語らい、書に親しむ。
掲句は「秋灯」に照らされた一部屋を詠む。居間、リビングなどと呼ばれる一部屋に、作者は多くの時間を過ごす。その部屋の中に、作者の居場所がいくつもあるというのだ。本を読むときはソファーに腰掛け、食事の時はテーブルに向かい、パソコンを使うときは隅の椅子に腰かけ、といったように。秋は、自らの日常を改めて振り返る季節でもある。『俳句』2025年9月号。
月といえば秋の月である。秋の月は、春の花、冬の雪とともに日本の四季の美を代表する。単に月といえば秋の月を指すのは、秋から冬にかけて空が澄み、月が明るく大きく照りわたるから。
掲句はその澄みわたった月光の中で、「龍の骨」を拾ったという。龍は神話や伝説に登場する想像上の生き物。その骨が木っ端か何かのように、波に打ち上げられたものの中に交じっていたのだ。月の光にはこの世とあの世、現実と夢などの境界を取り払うはたらきがある。澄んだ月光のもとで、「龍の骨」を拾うことが、現実にあり得ることのように思えてくる。『俳句界』2025年9月号。
「川渡御(かわとぎょ)」は「天満祭(大阪の天満宮の夏祭)」の傍題として歳時記に出ているが、一般的には祭の神事の一つで、厄を祓い五穀豊穣等を祈願して神輿(みこし)を川に入れる行事のこと。全国各地の夏祭で行われており、「天満祭」に関連する季語として扱っている現状は、改めてはどうかと思う。
掲句は、秩父で毎年7月19、20日に行われる川瀬祭りを詠んだ作品。大祭の日には、神社神輿が荒川の中へと入る神輿洗いの儀式が行われる。川の水深が増すにつれて、神輿衆のうち前列の男たちが「づづと」崩れたという。この擬態語は、句にダイナミックな臨場感をもたらす絶妙の措辞。たった一語が句に命を吹き込むことを、改めて認識させられる。『俳句』2025年9月号。