キュウリやカボチャ、スイカ、マクワウリなど、ウリ科の植物の花の総称。本来は甜瓜(まくわうり)の花をさす。7〜8月頃に直径約3センチの鮮やかな黄色の五弁花を咲かせる。雌雄同株で、花の根元にふくらみがなく、花びらだけがついているのが雄花、花の根元に小さなふくらみ(子房)があるのが雌花。なお、実となった「瓜」や「南瓜」「西瓜」などは、いずれも秋の季語。

キュウリやカボチャ、スイカ、マクワウリなど、ウリ科の植物の花の総称。本来は甜瓜(まくわうり)の花をさす。7〜8月頃に直径約3センチの鮮やかな黄色の五弁花を咲かせる。雌雄同株で、花の根元にふくらみがなく、花びらだけがついているのが雄花、花の根元に小さなふくらみ(子房)があるのが雌花。なお、実となった「瓜」や「南瓜」「西瓜」などは、いずれも秋の季語。

「鱧(はも)」はウナギ属ハモ科に属する海水魚。関西の夏の味覚を代表する魚である。鱧の湯引きや鱧ちりなどは、京都の祇園祭や大阪の天神祭の時期に欠かせない料理。
掲句は、現役時代の宴会を思い起こしての作品。人事異動や出向、退職などの際に、送別する側、送別される側を含めて数多くの宴の機会があった。夏には、料理のコースの中に湯引き鱧や鱧の吸い物が出されることもあったことを思い出す。何かと気を遣う職場の宴会なので、落ち着いて鱧を賞味する余裕がなかったことは、今振り返ってみると残念なことではある。令和8年作。
北米原産のシソ科カクトラノオ属の多年草。別名「角虎の尾」。明治時代の末期から大正時代にかけて、観賞用の園芸植物として日本に渡来した。繁殖力が強く丈夫な植物であるため、庭から逸出して道端、線路の脇、河川敷などで野生化している。晩夏初秋に、四角形の茎にたくさんの花芽がつき、下から上に咲き上っていく。なお、歳時記に掲載されている「虎尾草(とらのお)」(夏季)はサクラソウ科の植物で、本種とは種類が異なる。

中国、朝鮮半島及び日本の九州北部原産のベンケイソウ科の多年草。別名「血止草」。葉が肉厚で非常に生命力が強く、なかなか枯れないことからこの名がある。長崎県や対馬などに自生するほか、中国原産のオオベンケイソウやヨーロッパ原産の近縁種をベースに品種改良された園芸品種が栽培されている。秋に淡紅色の小さな花を密集して咲かせる。

今回の旅行の最初の宿泊地はヴィレンヌ・シュル・セーヌ(Villennes-sur-Seine)。パリ中心部からセーヌ川に沿って約80キロ下流に位置する町だ。私たちはそこに滞在しながら、パリの中心部に繰り出したり、ジベルニーなど近郊の町に出掛けたりした。
ホテルのベランダの直ぐ前がセーヌ川だった。セーヌ川は、周知のように、パリの中心部を通り抜けてイギリス海峡へと注ぐ、フランス国内ではロワール川に次いで2番目に長い川。
川が最も賑わうのは日が傾いてくる夕暮の頃で、飛び込んで泳ぐ人、ボートを漕ぐ人のほか、モーターボート、水上スキーなどを楽しむ人もいた。折々は遊覧船や貨物船も通った。折から、ヨーロッパを熱波を襲っていた時期でもあり、川に親しむ人が特に多かったのかも知れない。下の写真は、ホテルのベランダから撮ったセーヌ川。

次の写真は、電車でパリの中心部に出掛けたとき、アレクサンドル三世橋のほとりからエッフェル塔方面を撮った一枚。ここからやや上流に遡ったところにあるシテ島がパリ発祥地である。紀元前3世紀頃、この島にケルト系の先住民族であるパリシイ族が住み着いたことが、パリの語源になっているという。私たちのパリ散策は、熱波のお陰でこの一日だけになってしまった。

以降、私たちの訪問地は、セーヌ川の下流域へと移っていった。クロード・モネが後半生を過した家と庭園があるジヴェルニー。ノルマンディ地方の中心都市ルーアン。さらには、河口のオンフルールとル・アーブル。いずれも、セーヌ川沿いの、セーヌ川に育まれた町であり、モネを始めとする印象派の画家たちを惹きつけた地でもある。
オンフルールはセーヌ川河口の南側に位置する町。次の写真の船溜まりは、かつてモネなどの画家たちが好んで描いたモチーフである。

オンフルール散策中に撮ったノルマンディ大橋。セーヌ川河口の北側のル・アーヴルと南側のオンフルールを結ぶ全長2141メートルに及ぶ世界有数の美しい斜張橋である。橋の向こうはイギリス海峡である。私たちはこの橋を渡って対岸のル・アーブルに向かった。

次の写真は、私たちの最後の滞在地サモワ・シュル・セーヌ(Samois-sur-Seine)で撮ったセーヌ川。パリ中心部から川に沿って90キロメートル余り上流に位置する美しい村である。

サモワ・シュル・セーヌ滞在中には、画家シスレーが愛したモレ・シュル・ロワン(Moret-sur-Loing)や明治時代に黒田清輝ら多くの日本人洋画家が滞在して制作を行ったグレー・シュル・ロワン(Grez-sur-Loing)にも訪れた。いずれもロワン川沿いの村で、ロワン川はセーヌ川の支流。次の写真は、グレー・シュル・ロワン訪問時に撮ったロワン川。

以上のように、今回の旅はセーヌ川に始まり、途中ロアール地方を巡った後、最後はセーヌ川で締めくくる旅であった。
余談になるが、ヴィレンヌ・シュル・セーヌ(Villennes-sur-Seine)、サモワ・シュル・セーヌ(Samois-sur-Seine)など、フランスの川沿いの町や村には「sur-〇〇(〇〇川沿いの)」という命名がなされていることが多い。これらの命名には、川の辺に暮らし、川とともに生きているという町の人々の感覚が活きているようだ。フランス人にとって、川は単なる境界線などではなく、暮らしや歴史、景観の軸であり、船運、水利など生活の源であり、長い時間をかけて町を育んでくれるものである。そして、川沿いという自らが住んでいる村や町特有の風土を大切にしようとする志向が、これらの命名の根底にはあるだろう。そこには、デカルト的な合理主義とは異なる、フランス人の血に流れる自然共生的な気質が窺えるように思う。