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俳句の庭

  • 山吹黄葉

    12月 23rd, 2025

    山吹(やまぶき)は、バラ科ヤマブキ属の落葉低木。全国の山地の湿ったところに自生する。晩春の頃、枝先に五弁の鮮黄色の花を咲かせることから、単に山吹といえば春の季語。一方、晩秋初冬にかけての黄葉(もみじ)も見応えがある。比較的長い期間、その美しい黄色を保つのが特徴。

  • 枯野

    12月 23rd, 2025

    草木が枯れて見渡す限り寂しい景色となった冬の野原のこと。弱々しい日がとどき、ときには雨に濡れ、冷たい季節風が吹きわたる荒涼とした景であるが、やがて訪れる芽吹きの季節を待つ姿でもある。 

  • あるき神あるいてゆける神の旅 安里琉太

    12月 23rd, 2025

    「神の旅」は旧暦10月に、全国の神々が出雲大社へ集まるために旅立つこと。男女の縁を結び給うために集まるとされる。出雲以外の国々では神が不在になるため、この月は「神無月」と呼ばれ、神々が集まる出雲では「神在月(かみありづき)」と呼ばれる。

    掲句は、「あるき神」の旅の様子を思い浮かべての作品。歩き神は人々をそぞろ歩きや旅へと誘い出す神様のこと。「そぞろ神」などとも呼ばれる。普通の神々は龍蛇に乗って旅するとも言われているが、「あるき神」はその名のとおり、歩いて出雲に参集するのだろうと作者は想像した。空想に空想を重ねたような作品だが、「あるき神」という言葉のもつ諧謔味が活かされている。『俳句四季』2026年1月号。

  • 大年の顔正月の顔となる 井上泰至

    12月 22nd, 2025

    「正月」は一般的には1月1日から7日までの松の内を指すが、地域によっては15日の小正月までを正月と呼ぶこともある。松飾を立て、鏡餅を飾り、雑煮を食べて一年の無病息災を願う。

    掲句は、新年を迎えて改まったように見える人の顔を詠む。「大年(おおとし)」は大晦日こと。「大年」から一夜経て「正月」になる。人の顔は一晩で変わるものではないが、「正月」の風景の中で眺めると、自他を含め、誰もがいかにも「正月」らしい顔になっているのだ。単明な表現だが、単刀直入な「顔」のリフレインにこの句の味わいがある。『俳句四季』2026年1月号。

  • 銀杏の枝の鶫

    12月 22nd, 2025

    禅寺の銀杏の梢に止まって日の出を待つ鶫(つぐみ)。冬鳥として日本に渡来し寒さに強いはずの鶫だが、冷え込んだ冬の朝は、さすがに太陽が恋しいと見える。冬は、夜が明けてから朝日が木々や家々を照らすまで、多少の時間がかかる。

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