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俳句の庭

  • 桜の木芯まで濡れて花芽立つ 柴田美佐

    4月 4th, 2023

    桜は品種によって、花芽と葉芽のほぐれる順番が異なる。最もポピュラーなソメイヨシノは、花が咲き終わった後葉芽が一気にほぐれてゆく。山桜は、花芽と葉芽とがほぼ同時にうごきだす。

    掲句から思い浮かぶのは、花芽を沢山つけたソメイヨシノの老木だ。ふとぶとと年数を経たソメイヨシノの老木が、折りからの雨を含んで黒々と濡れて立っている。木末には夥しい蕾が、咲く寸前の瑞々しい紅色を零さんばかり。「芯まで濡れて」との措辞は、表面的な写生では至り得ない作者の深い観照の賜だ。写生を超えたところで、老木の桜の命の在りようを掴んでいる。句集『深紅』所収。2019年作。

  • 花虻ひとつ龍太忌の深空より

    4月 3rd, 2023

    2月25日は、戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した飯田龍太の忌日。依然として寒さは厳しいが、咲き始めた梅に、待ちに待った春の到来を実感する時季でもある。

    昼休みに公園の梅を眺めていると、折りからの日差しに誘われたように花虻がどこからか現れて、疎らに咲いた白梅に纏わるように飛びはじめた。空は深々とした碧ひと色。龍太が〈白梅のあと紅梅の深空あり〉と詠んだあの「深空」(みそら)だ。「龍太忌の深空」との措辞は、そのとき即座に思い浮かんだのだった。平成28年作。

  • 大悪人虚子忌の椿真くれなゐ 角谷昌子

    4月 3rd, 2023

    「虚子忌」は、俳人高浜虚子の忌日で、4月8日。虚子といえば、近現代の俳句の源流をなす人であり、歳時記には多くの「虚子忌」の句が掲載されている。

    掲句は、一読、〈初空や大悪人虚子の頭上に 虚子〉が思い浮かぶ作品であり、本歌取り的な手法がとられているといっていいだろう。自らを「大悪人」と称して憚らなかった虚子という人の生涯や作品のもつ図太さを、この虚子の句はよく表しているが、その「大悪人虚子」を偲ぶかのように、椿が真っ赤な花を咲かせているのだ。俳句のような短詩型の世界でも、今、虚子の図太さを必要としているのかも知れない。『俳句』2023年4月号より。

  • 魚は氷にのぼり真上に風の渦

    3月 31st, 2023

    「魚氷に上る」は七十二候の一つで、立春の第三候。2月の中旬頃に当たる。暖かさでそれまで張り詰めていた氷が割れ、魚が氷の上に躍り出るという。多分に空想を含んだ季語だが、空想だけではない、実景の裏付けが感じられる。ワカサギ釣りなどでは、こうした情景を目にすることもあるのではないか。氷の上に跳ねる銀鱗は眩いばかり。折りから吹き過ぎる風の光も、明るさと冷たさを同時に感じさせて早春のものだ。

    掲句は、この季語が描き出す情景をあれこれと想像していて生まれた作品。時々訪れる長野の結氷湖の光景も、その時思い浮かべていたと思う。平成22年作。

  • 寝付くまで蛙の国の端にをり 若井新一

    3月 31st, 2023

    水を張った一面の田で蛙が鳴き始めるのは晩春の頃だ。蛙たちの雌を求める声は、遠い蛙、近い蛙と声が重なり合い入り交じり、ひとつの声の塊となって作者の枕元に迫ってくる。いつ果てるとも知れないそれらの声の中で、いつか眠りにつく。自然と人間の営みが融合した心豊かな世界だ。

    掲句はそのような情景を「蛙の国」と表現した。そこには、人間中心ではない、自然の運行に人の生活を順応させていくことを是とする自然観が窺える。『俳句』2023年4月号より。

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