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俳句の庭

  • 父母在りて庭に李の咲きし日々

    4月 8th, 2023

    「李」(すもも)は古く中国から渡来し、春、桜より遅れて白い花を咲かせる。野育ちの少女のような小振りで可憐な花だ。李には多数の品種があり、東アジア産の二ホンスモモと西アジア産のセイヨウスモモに大別されるが、わが庭に咲いていたのはセイヨウスモモだったと思う。秋には、熟した実を取って食べるのも、その頃の楽しみの一つだった。

    掲句は回想の作品であり、眼前に李が咲いている訳ではない。父母は既に亡く、父母や妹たちと過ごした日々は過去のものだし、当時庭先に咲いていた李の木は、何年も前に寿命で枯死してしまった。それでも、父母とともに過ごした日々は、咲き盛る李の花の明るさとともにある。令和3年作。

  • 蘆牙や水を見てゐて眼冷ゆ

    4月 7th, 2023

    「蘆牙」(あしかび)は、蘆の芽のこと。春先の水辺に一斉に芽を出す。郊外や山野だけでなく、都会の公園の池のほとりでも見掛ける光景だ。初めは、水の上に先端を出している小さな芽に過ぎないが、その後ぐんぐん生長し、人の背丈を越えるようになる。

    掲句は、とある都会の公園の水辺で、仕事の合間に目を休めていてできた作品。当時、仕事、私生活とも、何かと思い悩むことが多かった。「眼冷ゆ」というのは、そのときの私の実感そのままだ。「蘆牙」と取り合わせたことによって、ひりひりとした春先の感触を捉えることができたように思う。『春霙』所収。平成21年作。

  • 残花

    4月 7th, 2023

    花の盛りを過ぎて、散り残っている桜のこと。桜は一気に満開になった後、花数を徐々に減らしながらも、暫くは散り残っている。盛りの花の印象を目に焼き付けたまま、残花を前に、今年の桜の名残を惜しむ。だが、そうした日々も忽ち過ぎて、葉桜の季節を迎える。

  • 傘をもて突く義仲忌の浮氷

    4月 6th, 2023

    源(木曽)義仲の忌日は陰暦1月20日。陽暦では2月半ば~下旬に当たる。寿永3年1月、源範頼・義経の率いる鎌倉軍との宇治川の戦に敗れ、近江国粟津で討ち死にした。

    掲句は、手に持っていた傘で、池の浮氷を突くという散歩途中のさり気ない自分の動作を思い返していてできた作品。「義仲忌」と取り合わせたことで、少年に戻ったような私の他愛のない動作も、句の素材になり得たのだろう。なお、義仲に関しては、松尾芭蕉がその悲運の生涯に思いを寄せていたことが、思い起こされる。『春霙』所収。平成20年作。

  • 竹の秋

    4月 6th, 2023

    落葉樹は、春から夏にかけて芽を広げて瑞々しい若葉となり、秋から冬にかけて紅葉・黄葉となって散っていくが、竹は3月から4月にかけて葉や幹を黄ばませる。地下茎で繋がっている筍に栄養分を取られるためだ。「竹の秋」は、このような状態の竹のことを指す春の季語。陰暦3月の異名でもある。黄ばんできた竹は、初夏にかけてしきりに葉を散らす。筍が土中から先端を覗かせるのもこの頃だ。

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