暑い昼が去って、夏の夜空に煌々と輝く月に涼しさを感じるというのが、この季語の本意。「月涼し」ともいう。また、昼の暑さをとどめて火照っているようにみえる夕月も、短夜の暁の空に白く残る月も、趣は異なるがいずれも夏の月である。「夏の月の好いことは、それがあまりに輝き過ぎないことだ。」と島崎藤村(『短夜の頃』)が記しているように、夏の月には、他の季節の月にはない趣がある。

暑い昼が去って、夏の夜空に煌々と輝く月に涼しさを感じるというのが、この季語の本意。「月涼し」ともいう。また、昼の暑さをとどめて火照っているようにみえる夕月も、短夜の暁の空に白く残る月も、趣は異なるがいずれも夏の月である。「夏の月の好いことは、それがあまりに輝き過ぎないことだ。」と島崎藤村(『短夜の頃』)が記しているように、夏の月には、他の季節の月にはない趣がある。

カトリックでは五月をマリアの月(聖母月)と定めている。そして、マリアを崇敬賛美し、聖歌を歌い、祈祷をささげるこの月を、俳句では「聖五月」と称する。風薫る麗しい季節である。
掲句は、ミサをあげたり、洗礼、聖体などの儀式を行う神父の姿を間近に見て、その腕の毛深さに改めて気づいたという情景。西洋人の成人男性の腕の毛深さが、初夏の明るい光の中で、クローズアップされて見えてくる。聖職者である神父も、ひとりの生身の男性であることを発見した作者の驚きが伝わってくる作品。『俳句』2023年8月号。
夏を初夏、仲夏、晩夏に三分したときの夏の末をいう。陰暦6月の異称で、陽暦では7月頃。暑い盛りだが、既に夏至を過ぎた太陽は南中高度を下げ初め、空や雲、風、草木など万象に夏の衰えの兆しや秋への予感が見える。寝苦しい夜が続いた後、思いのほか涼しい夜が訪れるのもこの頃だ。夏の日々を惜しむ心に、どこか物憂い感じが混じる。
