俳句で芋といえば里芋のこと。東南アジア原産のサトイモ科の植物で、稲よりも早く縄文時代には日本に渡来。茎の地下部分が肥大化した塊茎(芋)と葉柄(芋茎)を食用にする。根茎に生じた芽は地上に出て、長い柄の先に心臓形の葉を形成する。地中部では、葉柄の基部が肥大して親イモとなり、その親イモを囲む芽から子イモを生じ、さらに子イモには孫イモがついて増えていく。子イモ・孫イモが多いことから子孫繁栄の食べ物とされ、正月や節句の料理に用いられる。収穫は晩秋の頃。

滴りは、崖や岩膚の裂け目から滴々と零れ落ちたり、苔を伝い落ちる清冽な点滴のことで、涼感を誘うことから夏の季語になっている。
掲句は、滴りを「考える玉」と把握したところが面白い。ゆっくりと膨らんでは落ちる雫を凝視しての発想だろう。滴々と落ちる滴りの雫が、思慮深げな光を放っているように見えてきたのだ。しばらくの間、夏の暑さを忘れることができそうだ。『俳句界』2023年9月号。
暑い夏だからこそ涼を求める。暑さの最中で一瞬でも味わえる涼気に、命がよみがえる思いがする。
掲句は水族館、学校のビオトープ、縁日の金魚掬い、自宅の水槽など、さまざま場面を自由に想像できる作品。いずれにしても、小さな魚を目で追っていて、目玉に涼しさを感じたのだ。目玉に涼気を感じたというのが、作者独自の把握。『俳句』2023年9月号。