イエス・キリストの降誕を祝って12月25日に行われる祭。降誕祭ともいう。この祭事が行われる日自体がイエス・キリストの正式な誕生日という訳ではなく、諸説はあるもののキリストの誕生日は不詳である。その前夜のクリスマスイブには礼拝を行う。基督教になじみの薄いわが国においても、クリスマスツリーを飾るなど、街はクリスマス一色になる。

冬は、立冬(11月8日頃)から立春の前日(2月3日頃)までの期間のこと。「冬の午後」といえば、冬の一日の昼過ぎの時間帯をさす。
掲句は冬の午後を読書に過ごす静かな心持が伝わってくる作品。冬の日暮れの早さには急かされることが多いが、掲句には、まだ日暮れに間のあるゆったりと充実した時間の流れが感じられる。一日の残りの時間を惜しむ心持も漂っているようだ。『俳壇』2024年1月号。
小春の日和に誘われて、本来春に咲く草木が季節外れの花をつけること。サクラ、ツツジ、ヤマブキ、タンポポなどで見られる。花に乏しい季節における、自然からの授かりものといった趣がある。返り花、忘花、狂花などともいう。


山寺の悲しさ告げよ野老掘り 芭蕉 『笈の小文』旅中の作で、真蹟懐紙に「菩提山即時」との前書きがある。芭蕉は貞享4年12月中旬旅の途次に帰郷し、翌2月、亡父の三十三回忌追善法要に参列。掲句はその後訪れた菩提山での作。菩提山は菩提山神宮寺のこと。伊勢市中村町朝熊山の西の尾にあった聖武天皇の勅願寺で、鎌倉中期に大伽藍が消失して以降、当時は荒廃していた。菩提山のほとりで、折りから野老(ところ)を掘っていた里人に、この山の悲しい転変の歴史を語ってくれよと呼びかけた。
この山の悲しさ告げよ野老掘り 芭蕉 『笈の小文』に収められている句形。「山寺の」では、対象と距離を置いた第三者的なよそよそしさがあるが、「この山の」と推敲したことにより、作者と対象との距離がぐっと近くなった。荒廃した寺に佇む作者の嘆きが聞こえてくるようだ。普段は何気なく使う「この」という近称の指示連体詞も、使い方によっては効果的であることを改めて認識させられる推敲だ。