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俳句の庭

  • 着ぶくれて袋を入れる袋買ふ 篠崎央子

    1月 12th, 2025

    「着ぶくれ」は重ね着をしたり、分厚い衣服をはおったりして、体が膨れて見えること。颯爽とした姿とは正反対の、鈍重な印象の自他の姿を自嘲や慰安を込めて詠むことが多い。

    掲句は、不合理なことが多いこの世にあって、苦笑しながら世の不合理を受け入れ、順応している自らを省みての作品。袋を収納するため、或いは持ち運ぶために別の袋が要るというのも、何とも遣り切れないことだが、〈まあいいか〉と諦めながらレジに並んでその袋を買っているのだ。「着ぶくれ」という季語が句の味わいを引き出している。『文藝春秋』2025年2月号。

  • 寒晴(かんばれ)

    1月 12th, 2025

    寒さが厳しい日の晴天のこと。大気は乾燥して冴え冴えと澄み、空は抜けるように青い。厳しい寒気の中で、あらゆるものが輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。太平洋側では、冬季、このような晴天が続くことが多い。「冬晴」よりも、身の引き締まるような厳しく鋭い語感がある。「寒日和」ともいう。

  • 探梅(たんばい)

    1月 12th, 2025

    晩冬の頃、早咲きの梅を探して山野に入ること。枯れ尽くした大地の中に春の兆しを探す心映えがある。名所とされる梅林でコースに沿って咲き満ちた梅の花を観るのとは趣を異にし、野趣がある。「梅の花」「観梅」は春季だが、「探梅」は冬の季語。「梅探(うめさぐ)る」「探梅行」ともいう。

  • 龍太の句を拾う(23)

    1月 11th, 2025

    白地着て陽の衰へを見てゐたり 龍太

    「雲母」昭和60年8月号。句集未収録。

    「白地」は「白絣」ともいい、白地に絣模様を織ったり染めたりした着物。昔より夏の着物として広く愛用されてきた。

    掲句は家居の寛ぎにあって、落ちてゆく夕日を眺めている作者の姿を思わせる一句。作者の住まいから眺める夕日は、八ヶ岳と甲斐駒の間のいわゆる「諏訪口」に沈んでゆく。夏季ということもあって、夕日はいつまでも宙に止まり、ゆっくり衰えてゆく。時間の流れは緩やかだ。

    作者が見ているのは「陽の衰へ」と同時に、自らの身の衰えでもある。この世の万物は生滅を繰り返し、生まれ出ては衰える。自然の中に身を置いていれば、陽の衰えも身の衰えも大きな天地の運行の中にある。

    淡彩の作品のよろしさがあるが、句集からは漏れた。

  • 年の市

    1月 11th, 2025

    年末に正月用の注連飾り、縁起物、若水桶などを売るために立つ市のこと。12月中旬から下旬にかけて、主に寺社の門前や境内などで開かれる。東京では世田谷のぼろ市、深川八幡宮、浅草観音の羽子板市、麹町の平河天神、近在では埼玉県さいたま市の氷川神社、鎌倉の長谷観音の市がよく知られている。最近ではスーパなどの店先にも、これらのものの売り場が設けられる。

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