源(木曽)義仲の忌日は陰暦1月20日。陽暦では2月半ば~下旬に当たる。寿永3年1月、源範頼・義経の率いる鎌倉軍との宇治川の戦に敗れ、近江国粟津で討ち死にした。
掲句は、手に持っていた傘で、池の浮氷を突くという散歩途中のさり気ない自分の動作を思い返していてできた作品。「義仲忌」と取り合わせたことで、少年に戻ったような私の他愛のない動作も、句の素材になり得たのだろう。なお、義仲に関しては、松尾芭蕉がその悲運の生涯に思いを寄せていたことが、思い起こされる。『春霙』所収。平成20年作。
源(木曽)義仲の忌日は陰暦1月20日。陽暦では2月半ば~下旬に当たる。寿永3年1月、源範頼・義経の率いる鎌倉軍との宇治川の戦に敗れ、近江国粟津で討ち死にした。
掲句は、手に持っていた傘で、池の浮氷を突くという散歩途中のさり気ない自分の動作を思い返していてできた作品。「義仲忌」と取り合わせたことで、少年に戻ったような私の他愛のない動作も、句の素材になり得たのだろう。なお、義仲に関しては、松尾芭蕉がその悲運の生涯に思いを寄せていたことが、思い起こされる。『春霙』所収。平成20年作。
「卒業」は、所定の学業を修めて学校を去ること。幼稚園から大学・大学院まで、上級の学校に進むたびに、それぞれの段階の締め括りとして卒業があり、卒業式はたいてい3月に行われる。一つの学業課程を終えることができた安堵感・達成感とともに、将来への希望や不安、級友や先生との別れなど、様々な感情が入り混じる。
掲句は、子が小学校を卒業したときの親としての安堵感を詠んだもの。庭先の辛夷の花びらを啄みに来た鵯を眺めていてできた句だったと記憶している。3月になると、梅に始まり、辛夷や椿、桜などが次々に咲き、人間のみならず、鵯にとっても好適な季を迎える。佳き季節を迎えて上機嫌の鵯が鳴きながら家々の庭を毎日のように巡っている。平成17年作。句集『春霙』所収。
「霾」(つちふる)は、春になって、大陸から海を越えて飛んでくる黄砂のことをいう。空は黄色くかすみ、大気は埃っぽく、関東近辺では、強風が畑などから巻き上げる土埃も入り交じって、厭な一日となる。
掲句は、神田神保町に職場があった頃、昼休みに辺りを歩き回っていてできた作品。昌平橋近くの中央線の高架を潜ったとき、町名が「神田淡路町」から「外神田」に変わったことに興味を感じた。町中を歩きながらも、黄ばんで濁った東京の空が、意識のどこかにあったのだろう。平成11年作。
2月25日は、戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した飯田龍太の忌日。依然として寒さは厳しいが、咲き始めた梅に、待ちに待った春の到来を実感する時季でもある。
昼休みに公園の梅を眺めていると、折りからの日差しに誘われたように花虻がどこからか現れて、疎らに咲いた白梅に纏わるように飛びはじめた。空は深々とした碧ひと色。龍太が〈白梅のあと紅梅の深空あり〉と詠んだあの「深空」(みそら)だ。「龍太忌の深空」との措辞は、そのとき即座に思い浮かんだのだった。平成28年作。
「魚氷に上る」は七十二候の一つで、立春の第三候。2月の中旬頃に当たる。暖かさでそれまで張り詰めていた氷が割れ、魚が氷の上に躍り出るという。多分に空想を含んだ季語だが、空想だけではない、実景の裏付けが感じられる。ワカサギ釣りなどでは、こうした情景を目にすることもあるのではないか。氷の上に跳ねる銀鱗は眩いばかり。折りから吹き過ぎる風の光も、明るさと冷たさを同時に感じさせて早春のものだ。
掲句は、この季語が描き出す情景をあれこれと想像していて生まれた作品。時々訪れる長野の結氷湖の光景も、その時思い浮かべていたと思う。平成22年作。