「八月」は立秋を過ぎて、暦の上では夏から秋へと季節が変わる月。しばらく暑い日が続くが、そうした中にも暑さは盛りを越え、徐々に秋の気配が濃くなってゆく。原爆忌、終戦日、盂蘭盆(うらぼん)などが次々に巡ってきて、亡き人を偲び、戦禍の犠牲者を悼む鎮魂の月でもある。
掲句は、被爆地長崎で被爆樹のクスノキが蘇った話や、原爆の日や終戦日に一斉に行われる人々の黙祷の光景が契機になってできた作品。やや具象性に乏しいが、鎮魂の月である「八月」の一面が捉えられたのではないかと思っている。令和7年作。
「八月」は立秋を過ぎて、暦の上では夏から秋へと季節が変わる月。しばらく暑い日が続くが、そうした中にも暑さは盛りを越え、徐々に秋の気配が濃くなってゆく。原爆忌、終戦日、盂蘭盆(うらぼん)などが次々に巡ってきて、亡き人を偲び、戦禍の犠牲者を悼む鎮魂の月でもある。
掲句は、被爆地長崎で被爆樹のクスノキが蘇った話や、原爆の日や終戦日に一斉に行われる人々の黙祷の光景が契機になってできた作品。やや具象性に乏しいが、鎮魂の月である「八月」の一面が捉えられたのではないかと思っている。令和7年作。
「蝉生る(せみうまる)」は蝉が羽化すること。蝉の幼虫は、数年間地中に棲んだあと地上に出て羽化する。背中を割って殻から抜け出た蝉は、最初、透き通るような萌黄色をしている。
掲句は、夏も終わりの頃、散歩の際に羽化したばかりの蝉の青みを帯びた白い姿を見かけての作品。まだ明けきらぬ暁、東の空にほっそりと月が残っていた。月光が幹に止まっている蝉に届いていた訳ではないが、生まれたばかりの蝉が体にまとう微光と月明りに、同質なものを感じた。秋も近い頃の澄んだ月明かりだった。令和7年作。
「秋時雨(あきしぐれ)」は秋も終わりの頃に、降ってはすぐに止む小雨や通り雨のこと。冬が近づき、朝晩の気温が下がる時期の雨であり、侘しさや静けさを感じさせる。
掲句は妹夫妻の山荘に泊まった時の作品。富士の東麓に当たる山中湖畔は晩秋初冬の雲の通り道なのだろう。その夜も天窓を濡らして雨が通り過ぎた。夜が更けるにつれて戸外はしんしんと冷えてきたが、暖炉の火を傍らに、湯気の立つ手料理をいただき、心豊かな時を過ごした。令和6年作。
「迎盆(むかえぼん)」は旧暦7月13日の夕、迎え火や盆提灯で先祖を迎えること。地域によっては陽暦で行うところも多い。「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の傍題。
掲句は、お盆の13日に菩提寺に立ち寄った後、墓まで父母を迎えに行った時の作品。その日は朝から生憎の雨だったが、本降りと言うほどではなく、午後もしとしとと降り続いていた。白木の卒塔婆を担いで雨の中を歩いた。道すがら白さるすべりが折からの雨を含んで咲きこぼれていた。父母を迎えるしんとした思いに、さるすべりの白い印象が重なった。令和7年作。
「明易し(あけやすし)」は夏の夜が早く明けること。多くの歳時記では、「短夜(みじかよ)」の傍題としている。「短夜」が夜の短さを言うのに対し、「明易し」には夜が急いで明けていくことへの感慨や、夜明けの早さを惜しむ気持ちが込められている。
掲句は南仏旅行中の一句。シャモニー近郊のセルボ村のコテージは、正面にモンブラン山系の山々を望むロケーションにあった。毎朝目を覚まして外のデッキに立つと、今日の空の機嫌はどうだろうかと、雪を被ったままの山々に目を向けた。東から昇ってくる太陽が、それらの山々を真横から輝かし始めた。夏の朝の冷え冷えとした空気が身を包んだ。令和7年作。