秋晴れは、秋の空が青く澄み、高々と晴れわたっていること。稲などの収穫が終わり、今年の新穀を供えて神に感謝する秋祭が行われるのも、この頃だ。
掲句は地元の神社の前に立っている一対の幟竿を見上げての作品。例祭の日には、氏子が奉納した幟が高々と掲げられ、風に靡くであろうことを思い描いた。この句から、祭当日の朝の晴れ晴れとした空を思い浮かべてもらえれば幸いだ。令和2年作。
秋晴れは、秋の空が青く澄み、高々と晴れわたっていること。稲などの収穫が終わり、今年の新穀を供えて神に感謝する秋祭が行われるのも、この頃だ。
掲句は地元の神社の前に立っている一対の幟竿を見上げての作品。例祭の日には、氏子が奉納した幟が高々と掲げられ、風に靡くであろうことを思い描いた。この句から、祭当日の朝の晴れ晴れとした空を思い浮かべてもらえれば幸いだ。令和2年作。
鎌祝は、稲刈りが終わった後、稲刈りの主役を務めた鎌に感謝する行事。清めた鎌を神棚や床の間に飾り、赤飯や餅を供え、手伝いの人たちも招いてその年の収穫を皆で祝った。
掲句は、鎌祝という古くから行われてきた行事を埼玉北部の和菓子「五家宝」と取り合わせた作品。「五家宝」は、きな粉をまぶした素朴な菓子で、食べるとき粉にむせることがよくある。粉にむせているのは、祝いの席に招かれた客人の一人。この句から関東平野の刈田の風景を目に浮かべてもらえたら幸いだ。令和元年作。
椿の実は夏から秋にかけて紅褐色を帯び、強い艶が目を惹く。大きさは赤子の握り拳ほどだ。
掲句は、長男の結婚を祝しての作。子育て中苦労した時期もあったので、天に感謝したい気持ちが「賜りし」の措辞に出ていると思っている。熟れかけた「椿の実」が惚れ惚れするような色艶を呈していた。令和元年作。
俳句で「秋蒔き」といえば、野菜の秋蒔きのこと。大根、蕪、牛蒡、蚕豆などの種蒔きは初秋から仲秋にかけて行う。秋蒔きの時期は、野菜やその品種ごとにそれぞれ適期がある。秋蒔きの野菜は、大根や白菜のように初秋の頃種を蒔き、その年の晩秋から冬にかけて収穫するものもあるが、キャベツのように次の年の春から初夏にかけて収穫期を迎えるものもある。

唐黍はトウモロコシのこと。秋の代表的な味覚の一つだ。
掲句は、晩夏初秋の頃長野の佐久地方を旅したときの作品。八方に立ち上がる雲は爛熟の様相を呈し、夏も終わりに近いことを思わせた。相変わらず真昼の日射しは強かったが、時折吹き抜ける風は思いのほか涼しく、収穫間近なトウモロコシの葉を鳴らした。佐久平は、北に浅間山、南に八ヶ岳や蓼科など三方を山に囲まれる高原地帯。令和元年作。