「いたちぐさ」は連翹(れんぎょう)の古名。仲春の頃、葉に先立ち、黄色の筒状花を群がり咲かせる。
掲句は就寝中に「地震(ない)」で目が覚めた後、どこかに不安を抱えたまま浅い眠りの夜が明けてきたときのことを句にしたもの。夜半にひと揺れあった後、幸い余震はなく何事もなく夜が明けてきた安堵感が、折りから庭先に咲いていた連翹の明るさに重なった。連翹には、大地に根差して咲く花のもつ明るさがある。令和5年作。
「いたちぐさ」は連翹(れんぎょう)の古名。仲春の頃、葉に先立ち、黄色の筒状花を群がり咲かせる。
掲句は就寝中に「地震(ない)」で目が覚めた後、どこかに不安を抱えたまま浅い眠りの夜が明けてきたときのことを句にしたもの。夜半にひと揺れあった後、幸い余震はなく何事もなく夜が明けてきた安堵感が、折りから庭先に咲いていた連翹の明るさに重なった。連翹には、大地に根差して咲く花のもつ明るさがある。令和5年作。
「年新た」は「新年」の傍題。新たな年を迎えた改まった気分が出ている季語だ。
掲句は、鉱(あらがね)色の稜線に、新たな年を迎えた感慨を重ねた作。「鉱」は、掘り出したままの精錬されていない鉱石のこと。西に走る秩父の山々を、元旦の畑の中を歩きながら眺めた。きっぱり晴れた朝の山々が、いつもより近々と、また、荒々しく見えた。『郭公』の井上康明主宰に、「独自の踏み込んだ表出には自らの生きる風土への凝視と把握があるように思う。」と鑑賞していただいた。平成26年作。
茶の新芽は晩春から初夏にかけて摘まれる。初めに摘むのが一番茶で、二番茶、三番茶と続くが、一番茶が最も良質とされる。
掲句は、茶摘みの頃の茶畑を詠んだもの。秋から冬、春先にかけてくすんだ色合いを呈していた茶畑も、4月の半ばになると急速に新芽を伸ばして明るさを増していく。その萌黄色の明るさは風を染め、新芽の匂いは近隣の家々を包み込むほどだ。茶摘みといっても近年は機械化が進み、茶摘女たちの手摘みの姿を見かけることは稀になったが、それでも茶摘みの頃の茶畑の瑞々しい明るさは格別だ。令和3年作。
「余寒」は、暦の上では寒が明けて春になっているものの、まだ残る寒さのこと。
掲句には「ウクライナ侵攻一年」との前書きがある。前年の侵攻開始からはかばかしい進展がないまま1年を経過し、出口のない思いにとらとらわれることも多かった。同じ地球上にこのような悲惨な戦禍を被っている国があることを思いながら、冷え冷えとした2月の星空に目をさまよわせた。令和5年作。『俳句』2023年6月号。
雛祭は、3月3日の節句に、女の子の健やかな成長を願って行われるお祭。雛人形を飾り、白酒や雛あられをふるまって祝う。
掲句は雛祭を迎える頃の寒暖定まらない季節感を詠んだ作品。関東近辺は立春を過ぎて雪が降ることが多い。大方の雪は降って2、3日で大方融けてしまうが、畑や川原などには根雪となっていつまでも残っている。春になっても、吹く風が冷たく頬を刺すのはそのためだ。しかし、それらの雪も、雛祭の頃の雨に濡れて消えてゆく。平成26年作。