「雛の日」は雛祭の日のこと。3月3日に行われる行事で、女児の幸福を祈るために行われ、雛飾り、白酒、菱餠、桃の花などを飾って祝う。
掲句は、かつて「白露」東京句会に出席していた頃、芭蕉記念館での句会が果てた後、大川や小名木川の川沿いを散策したときの作品。雛祭の頃は一年中でも潮の干満の差が大きいときで、大川や小名木川にも東京湾から潮が遡ってきているのが、川波のうねりから感じられた。いつまでも威の衰えない落日が川面に弾けて眩しいくらいだった。平成23年作。
「雛の日」は雛祭の日のこと。3月3日に行われる行事で、女児の幸福を祈るために行われ、雛飾り、白酒、菱餠、桃の花などを飾って祝う。
掲句は、かつて「白露」東京句会に出席していた頃、芭蕉記念館での句会が果てた後、大川や小名木川の川沿いを散策したときの作品。雛祭の頃は一年中でも潮の干満の差が大きいときで、大川や小名木川にも東京湾から潮が遡ってきているのが、川波のうねりから感じられた。いつまでも威の衰えない落日が川面に弾けて眩しいくらいだった。平成23年作。
「蚕屋(こや)」は養蚕をする家又は部屋のこと。年に数回飼うが春に飼う蚕が一番良質な繭を作ることから、「蚕飼」「蚕屋」「蚕棚」など蚕に関連する季語はいずれも春季。
掲句は秩父の郊外を歩いていて見掛けた光景を句にしたもの。かつては養蚕に使っていたらしい納屋ほどの建屋に牛を飼っていた。秩父でも養蚕農家は減る一方で、方々に残る桑畑が、養蚕業の盛んだった頃の名残をとどめていた。平成22年作。
「春愁(しゅんしゅう)」は生気の溢れる春だからこそ覚える物憂い哀愁であり、軽いぼんやりした憂鬱な感覚であり、そこはかとない愁い、哀しみである。「春愁(はるうれ)い」ともいう。
掲句は、素干しの小エビを眺めていて、ふと、その黒いつぶつぶの目に、生の痕跡を感じ取ってできた作品。素干しにしたエビは、炒め物、煮物などの料理の脇役として欠かせないが、小さなエビのそれぞれに黒い目が二つずつあることに改めて気づいたとき、一匹一匹の生と死に思いが及んだ。生きていたときの形のままに素干しになっているエビの哀しみが、胸をよぎった。平成22年作。
「春陰」は曇りがちな春の天候のこと。花曇とほぼ同じ意味だが、花時に限られない。
掲句は銀座の画廊を巡ったときの、重たいドアの押し心地を句にしたもの。「花疲れ」という季語があるが、その時も、春の物憂い感じが私の心身を支配していた。別にこれという目当てがあって画廊を巡った訳ではなかったからだ。人体の形をしたドアノブの冷たい感触、画廊に入ったときに見知らぬ人から受けた視線、画廊内の時が停止したような静けさなど、その時のことが今でもよみがえる。平成22年作。
「蕗味噌(ふきみそ)」は蕗の薹を刻んですりつぶし、味噌、砂糖などを加えて混ぜ、火にかけて練ったもの。ほろ苦い風味が春の食卓に色どりを添える。
掲句は「蕗味噌」の苦みを「うすむらさき」と色彩により表そうとした作品。蕗味噌に限らず、目刺しやゴーヤなど、苦みを味わう食材は四季を通じてあるが、特に春先に摘む山菜の苦みは、春の到来を実感させてくれる。味覚が発達して苦みを滋味として味わえるようになるのは、齢を加える愉しみの一つではないだろうか。令和5年作。