蜘蛛の多くは糸を分泌して巣を作り、これにかかった昆虫を捕食する。本来は夏の季語だが、大きく肥えた女郎蜘蛛などが、人の頭上に巣を張っているのを見かけるのは秋の半ば頃から。冬になっても依然として空の一隅を占めている強者(つわもの)もある。
掲句は立冬を過ぎてもいよいよ意気盛んに巣に蟠踞している大蜘蛛を詠んだ作品。夜通し木枯らしが吹いた明け方、頭上に吹き残されたように静まっている大きな蜘蛛を見かけた。全く弱っている気配はなく、日差しを受けて漆びかりしていた。平成19年作。『春霙』所収。
蜘蛛の多くは糸を分泌して巣を作り、これにかかった昆虫を捕食する。本来は夏の季語だが、大きく肥えた女郎蜘蛛などが、人の頭上に巣を張っているのを見かけるのは秋の半ば頃から。冬になっても依然として空の一隅を占めている強者(つわもの)もある。
掲句は立冬を過ぎてもいよいよ意気盛んに巣に蟠踞している大蜘蛛を詠んだ作品。夜通し木枯らしが吹いた明け方、頭上に吹き残されたように静まっている大きな蜘蛛を見かけた。全く弱っている気配はなく、日差しを受けて漆びかりしていた。平成19年作。『春霙』所収。
「茸」は晩秋の頃、山林の湿地や生きた木、朽木、切株などに生える菌類の総称。秋の味覚の代表として焼いたり煮たりして食する茸から、猛毒の茸までその種類は多い。
森の中にはいたるところに茸が生える。切株、風倒木や地面などだけでなく、生きている木の根の辺りにも生える。傘を広げる前の茸の可憐なつむりが、群がる保育園児のようにも見える。ふと、前年2月に亡くなった飯田龍太の眼差しを、木の間の空に感じた。山住みの龍太にとって茸は身近な存在で、〈茸にほへばつつましき故郷あり〉など度々句に詠まれている。平成20年作。『春霙』所収。
「雪」とひと口に言っても、「粉雪」「細雪」「水雪」などその降り方はさまざまだ。「粉雪(こなゆき、こゆき)」は、凍てついた空気の中を降る粉のようにさらさらとした雪。
掲句は閉ざした後の牧場の光景。夏の間鉱塩(ミネラルソルト)に群がっている放牛を度々目にしたが、今は牛たちも去り、牧場は粉雪がぱらついて森閑としている。牧柵に括りつけたままになっている鉱塩に、牛が舐めた跡が窪みとなって残っている。それは、夏の間牛たちが屯した唯一の痕跡だ。平成8年作。『河岸段丘』所収。
「十二月」は一年の最終月。新年を迎える準備など何かと済ませるべきことが多く、あわただしさを感じさせる。振り返って、この一年の出来事を改めて思い起こすことも多い。
掲句は飯能の古刹能仁寺での作品。山門を潜るとき、阿形・吽形の二体の仁王像は初冬の冷気の中でしんと静まり返っていた。阿形の像の発止と広げた掌の指の一本一本に、忿怒(ふんぬ)の気が通っているように思えた。明治維新の戦火がこの地まで及んだことが想像できないほどの静寂が、辺りを支配していた。平成12年作。『河岸段丘』所収。
「冬隣」は立冬を目前にして、冬がすぐそこまで来ていることを表す季語。迫ってくる冬に対して静かに身構えるような気分がある。
掲句の「詩碑」は、昭和28年から亡くなるまで飯能に住んだ蔵原伸二郎のもので、能仁寺東端の天覧山入口に立つ。高さ3メートルほどもある詩碑で、碑面には自筆の「めぎつね」の一節が彫られてあった。〈野狐の背中に雪がふると狐は青いかげになるのだ 吹雪の夜を山から一直線に走ってくるその影〉詩人の気息がそのまま一行の詩になって刻まれているような詩碑の佇まいに、近づいてくる冬の気配を感じた。平成13年作。『河岸段丘』所収。