「東風(こち)」は、春になって西高東低の気圧配置が崩れて、太平洋から大陸の方へと吹く風。ひと口に「東風」といっても、春特有の強風であることもあれば、柔らかい感触の風が吹くこともある。
掲句の実景は樹齢何年とも知れない梅の老木だが、梅に限ることもないだろう。苔むしたごつごつの老木の幹から、緑色の瑞枝(みずえ:瑞々しい若枝)が伸びているのだ。年老いた木に潜んでいる生命力に驚かされた。折から、湿り気を含んだ「東風」が荒々しく木々を吹き抜けていた。いよいよ芽吹きの季節が到来する。令和2年作。
「東風(こち)」は、春になって西高東低の気圧配置が崩れて、太平洋から大陸の方へと吹く風。ひと口に「東風」といっても、春特有の強風であることもあれば、柔らかい感触の風が吹くこともある。
掲句の実景は樹齢何年とも知れない梅の老木だが、梅に限ることもないだろう。苔むしたごつごつの老木の幹から、緑色の瑞枝(みずえ:瑞々しい若枝)が伸びているのだ。年老いた木に潜んでいる生命力に驚かされた。折から、湿り気を含んだ「東風」が荒々しく木々を吹き抜けていた。いよいよ芽吹きの季節が到来する。令和2年作。
「狐火」は冬の夜、山野や墓地に見える怪しい火のことで、狐が口から火を吐いているの俗説に基づく。火が見える実際の原因は明らかにされていない。
掲句は夜が明ける前の地元の鎮守社の境内での作品。「堂守の灯」は、実際には当神社の神主が早朝二、三のお堂を見回るときの懐中電灯の明かりなのだが、暗がりにその灯が揺らめくさまは、狐火を思わせた。平安時代の延喜21年京都・石清水八幡宮を勧請して創建されたというから、既に千年以上の由緒を持つ神社だが、杜の中の社殿は廃れるままで、確かに狐の棲みつきそうな雰囲気があった。令和5年作。
梅は早春の寒気の残る中、他の花にさきがけて清楚な白色五弁の花を開く。「春告草」とも呼ばれるように、梅の花が咲きかけているのを見ると、春が到来しつつあることを実感する。
掲句は秩父宝登山(ほとざん)山頂の蝋梅園を訪れたときの作。蝋梅園の一隅の梅もぽつぽつ花を咲かせていた。「両神山(りょうかみ)」は三峰山、武甲山とともに秩父三山の一つで、山岳信仰の霊峰。台形型の鋭くぎざぎざとした稜線が特徴だ。蝋梅園から西南西へ30キロメートルほど隔たっているその山容は、当日、紫がかって見えた。遅まきながら山々に春が訪れたことを知らせる色合いだった。令和5年作。
「息白し」は冬になり気温が低くなると、人や動物の吐く息が白く見えること。冬の到来を感じる現象だが、豊かな白い息には生きている実感がある。
掲句は、壁に掛けられた能面の物言いたげな気配を感じての作品。能面の半開きの口は、ものを言う寸前の形のまま静止している。その表情も、悲喜の情がうごきだす前のどこか曖昧な表情のままで、動の前の静といった風情。その能面がものを言えば、生身の人間のように白い息を吐くのだろうか。そんな筈はないのだが、そのような想像へ誘うところが、目の前の能面にはあった。平成27年作。
「クリスマス」は12月25日のキリスト降誕祭のこと。その前夜をクリスマスイブという。キリスト教になじみの薄いわが国においても、クリスマスツリーを飾るなど、この時期、街はクリスマス一色になる。
掲句は街中のクリスマス気分が、街外れの工事現場のクレーンにも及んでいることに興趣を感じての作品。クリスマスツリ-から街路樹や看板まで、この時期街中はきらびやかな電飾に溢れる。街中だけでなく、常の夜ならば真っ暗になる工事現場のクレーンにも電飾がほどこされていた。工事現場で働く人たちやそこを通り過ぎる人たちにも、クリスマス気分をお裾分けしているような光景だった。令和元年作。