「マフラー」「襟巻」はいずれも、冬、首に巻いて寒さを防ぐもの。毛織物、絹、毛皮などで作られる。「マフラー」は「襟巻」の傍題だが、「マフラー」の方が近代的な語感がある。
掲句は電車内で本を読んでいる自分自身を思い浮かべての作品。マフラーは、前にだらりと垂れ下がらないように、普段は緩く結んでいることが多い。顎の下にマフラーの温もりを感じながら、本の世界に浸るのは、忙しない通勤途中の至福のひと時だった。平成17年作。『春霙』所収。
「マフラー」「襟巻」はいずれも、冬、首に巻いて寒さを防ぐもの。毛織物、絹、毛皮などで作られる。「マフラー」は「襟巻」の傍題だが、「マフラー」の方が近代的な語感がある。
掲句は電車内で本を読んでいる自分自身を思い浮かべての作品。マフラーは、前にだらりと垂れ下がらないように、普段は緩く結んでいることが多い。顎の下にマフラーの温もりを感じながら、本の世界に浸るのは、忙しない通勤途中の至福のひと時だった。平成17年作。『春霙』所収。
「冴(さ)ゆ」は寒さが極まって、あらゆるものに透き通ったような冷たさを感じること 。闇、風、月、星などを「冴る夜」「冴る風」「冴る月」「冴る星」などと表現する。
掲句は、元禄七年(1694年)10月12日に大坂で客死した松尾芭蕉の亡骸を収めた柩(ひつぎ)が搬ばれる様を想像しての作品。秋の夜長に、文暁の『花屋日記』などを読んでいて、自ずから脳裡に浮かんだ一句だったと記憶している。木曽義仲に傾倒していた芭蕉は生前「骸は木曽塚に送るべし」との遺言を残していた。弟子たちはその遺言にしたがって、芭蕉の亡骸を川舟で伏見まで運び、義仲寺境内の木曽塚の隣に葬った。折から初冬の頃で、柩を搬ぶ川舟の上には夜ふけの星が冴えてまたたいていただろう。平成16年作。『春霙』所収。
「冬に入る」は暦の上で立冬を過ぎたことをいう。まだそれ程寒くないが、日々の生活の中で実感として冬の訪れを感じ取ることも多い。「立冬」は陽暦の11月8日頃。
掲句は、本郷キャンパスにある東京大学総合研究博物館に展示されていた縄文人の骨骼標本(こっかくひょうほん)に触発されての作品。垂直歩行の人の姿勢そのままに、直立した骨骼標本が展示されていた。静まり返った館内には、既に冬めいた空気が漂い、骨骼標本の辺りだけ時間が止まっているような錯覚を覚えた。平成16年作。『春霙』所収。
「八月」は立秋を過ぎて、暦の上では夏から秋へと季節が変わる月。しばらく暑い日が続くが、そうした中にも暑さは盛りを越え、徐々に秋の気配が濃くなってゆく。原爆忌、終戦日、盂蘭盆(うらぼん)などが次々に巡ってきて、亡き人を偲び、戦禍の犠牲者を悼む鎮魂の月でもある。
掲句は、被爆地長崎で被爆樹のクスノキが蘇った話や、原爆の日や終戦日に一斉に行われる人々の黙祷の光景が契機になってできた作品。やや具象性に乏しいが、鎮魂の月である「八月」の一面が捉えられたのではないかと思っている。令和7年作。
「蝉生る(せみうまる)」は蝉が羽化すること。蝉の幼虫は、数年間地中に棲んだあと地上に出て羽化する。背中を割って殻から抜け出た蝉は、最初、透き通るような萌黄色をしている。
掲句は、夏も終わりの頃、散歩の際に羽化したばかりの蝉の青みを帯びた白い姿を見かけての作品。まだ明けきらぬ暁、東の空にほっそりと月が残っていた。月光が幹に止まっている蝉に届いていた訳ではないが、生まれたばかりの蝉が体にまとう微光と月明りに、同質なものを感じた。秋も近い頃の澄んだ月明かりだった。令和7年作。