「甚平(じんべい)」は腰を覆うぐらいの丈で、男性や子供が着る夏の簡易服。
掲句の対象は湯上りの甚平を着た二人の孫。初孫は男の子、二人目は女の子で、当時二歳と一歳。たまに家に泊まりにくると、悪戯盛りなので此方はへとへとになる。孫を詠んだ句に佳句はないと言われるが、それでも時には詠んでみたいと思う。「孫」という言葉を使わないことで、甘さが抑えられていれば幸いだ。令和5年作。
「甚平(じんべい)」は腰を覆うぐらいの丈で、男性や子供が着る夏の簡易服。
掲句の対象は湯上りの甚平を着た二人の孫。初孫は男の子、二人目は女の子で、当時二歳と一歳。たまに家に泊まりにくると、悪戯盛りなので此方はへとへとになる。孫を詠んだ句に佳句はないと言われるが、それでも時には詠んでみたいと思う。「孫」という言葉を使わないことで、甘さが抑えられていれば幸いだ。令和5年作。
緑の木々に覆われた夏の山を「青嶺(あおね)」といい、夏の岬を「青岬」といい、百草の生い茂った野原を「青野」などという。
掲句は長野の野辺山高原での作品。滞在中明け暮れ聞こえていたのは、遠く近く鳴くホトトギスやカッコウの声だった。いずれも托卵(たくらん)の習性をもつ鳥だ。托卵は、自分では巣を作らず、他の鳥の巣に卵を産みつけて、その鳥に抱卵・育雛させること。ホトトギスやカッコウの声が変幻自在に所を変えるのは、その習性のためかも知れない。折から高原は緑滴るばかりの初夏の装いだった。令和6年作。
夏の終わりを「夏の果」という。夏を惜しむ思いの感じられる季語。立秋前後ではまだ暑さが厳しく、連日の暑さに辟易して、夏を惜しむ思いなど湧いてこない。実感として夏を惜しむのは、子供たちの夏休みが終わる8月末頃だろうか。
掲句は、本を読んだり書いたりするのによく喫茶店を利用していた頃の作品。週末ごとに出掛けて、通りすがりの喫茶店で小半時憩うのが当時の習慣だった。本を読んでいて、気がつくと店内に客は私一人だった。街中よりも時間がゆったり流れているような喫茶店のほの暗い店内で、道を行く疎らな人影を眺めながら、今年の夏も終わったのだと思った。名残惜しさと安堵感が入り混じっていた。平成29年作。
「帰省」は学生や勤め人などが夏休みを利用して、故郷や実家に帰ること。特に地方の盆の行事に合わせて帰る人が多く、お盆の前後は道路や交通機関が混雑する。
掲句は、父の帰省について行った子供時代の記憶がもとになってできた作品。父の生家は当時の大里村(現在は熊谷市)の荒川沿いにあり、電車とバスを乗り継いでも、最寄りのバス停からかなりの距離を歩かなければならなかった。遠くに見えている荒川の堤防が、歩いても歩いても中々近づいて来なかった記憶がある。遠路を歩く人間にとって、夏の木蔭は有難いものである。ときには伯父さんがトラクターでバス停まで迎えに来てくれていたこともあった。平成26年作。
「夏」は立夏から立秋の前日までの約3ヶ月間の季節。四季の中で最も暑く日差しが強い。夏の日差しは、時により爽やかだったり蒸し暑かったりする。
掲句は柳瀬川沿いで釣りをしていた少年たちの姿が契機になっての作。東京都と埼玉県の県境を流れる柳瀬川沿いは私の好みの散歩コースの一つ。その日は夏休みに入った少年たちが釣りをしたり、川に跳び込んだりしていた。魚籠をのぞくと、コイ、オイカワ、ナマズなどが鰭をそよがせていた。アユが釣れることもあるらしい。ふと、宮沢賢治の「風の又三郎」に出てくる少年たちのことを思い出した。平成28年作。