「息白し」は冬になり気温が低くなると、人や動物の吐く息が白く見えること。冬の到来を感じる現象だが、豊かな白い息には生きている実感がある。
掲句は、壁に掛けられた能面の物言いたげな気配を感じての作品。能面の半開きの口は、ものを言う寸前の形のまま静止している。その表情も、悲喜の情がうごきだす前のどこか曖昧な表情のままで、動の前の静といった風情。その能面がものを言えば、生身の人間のように白い息を吐くのだろうか。そんな筈はないのだが、そのような想像へ誘うところが、目の前の能面にはあった。平成27年作。
「息白し」は冬になり気温が低くなると、人や動物の吐く息が白く見えること。冬の到来を感じる現象だが、豊かな白い息には生きている実感がある。
掲句は、壁に掛けられた能面の物言いたげな気配を感じての作品。能面の半開きの口は、ものを言う寸前の形のまま静止している。その表情も、悲喜の情がうごきだす前のどこか曖昧な表情のままで、動の前の静といった風情。その能面がものを言えば、生身の人間のように白い息を吐くのだろうか。そんな筈はないのだが、そのような想像へ誘うところが、目の前の能面にはあった。平成27年作。
「クリスマス」は12月25日のキリスト降誕祭のこと。その前夜をクリスマスイブという。キリスト教になじみの薄いわが国においても、クリスマスツリーを飾るなど、この時期、街はクリスマス一色になる。
掲句は街中のクリスマス気分が、街外れの工事現場のクレーンにも及んでいることに興趣を感じての作品。クリスマスツリ-から街路樹や看板まで、この時期街中はきらびやかな電飾に溢れる。街中だけでなく、常の夜ならば真っ暗になる工事現場のクレーンにも電飾がほどこされていた。工事現場で働く人たちやそこを通り過ぎる人たちにも、クリスマス気分をお裾分けしているような光景だった。令和元年作。
「春待つ」は春の到来を待ち望むこころもちを表す冬の季語。同じ時季の季語「春近し」よりも主観的で、待ちわびる気持ちが強い。
冬も終わりに近い頃、春を待ちわびる自らの心の動きや五感の働きを省みてできた作品。この時季、春の気配は日差しや木立など目に見えるものよりも、一段と活発になってくる鳥の声に感じ取れることが多い。昼、鵯や雀など身近な鳥の声に春の兆しを感じ取っていた我が耳が、夜眠っている間も覚醒したまま辺りに耳を澄ませているような気がした。春を待ちわびる思いの故だろう。令和5年作。
「霙(みぞれ)」は雨と雪が同時に入り混じって降ること。地表近くの気温がそれほど低くない冬の初めや終わりに降ることが多い。
地震と水害は、近年毎年のように各地を襲う災害の中でも、とりわけ人々の生活に壊滅的なダメージを与える。掲句はそうした被災地の光景を思い浮かべてできた作品。霙が降り続いている瓦礫の中に、幼い児が日頃乗り回していた三輪車が見える。その子供は今どうしているだろうか。無事でいるだろうか。暗く積み上がった瓦礫の山に、霙は非情の冷たさでびしゃびしゃと降り続ける。災害が続く何とも遣り切れない思いを、「霙ふる」の措辞に託したつもりである。令和6年作。
「霰(あられ)」には、雪の結晶に細かな水滴がついて固まった雪あられと小さな氷の粒である氷あられがある。霰の粒は地面や草木にぱらぱらと音を立てて降り、はじけて転がる。
掲句は夜ふけの霰の音に耳を澄ませながら、平成30年2月に亡くなった金子兜太を偲んだ作品。兜太は亡くなるまで熊谷に住み、〈暗黒や関東平野に火事一つ 兜太〉などの句がある。同じ関東平野に住みながら、生前の兜太に見(まみ)える機会は終に無かった。令和3年作。