桜の散っていく様は、日本人の美意識に訴えるところがある。花吹雪の中で、心は日常から離れ、万物が生滅を繰り返すこの世のことを思っている。そして、一つ一つの花びらは、天地の流転の中に投げ込まれる。水に散った花びらは忽ち流れ去って眼前から消えるし、地に散った花びらは、そこに散り溜まったり、風に吹き寄せられたりする。地に溜まっていた花びらも、数日の間に土に還って目につかなくなる。


桜の散っていく様は、日本人の美意識に訴えるところがある。花吹雪の中で、心は日常から離れ、万物が生滅を繰り返すこの世のことを思っている。そして、一つ一つの花びらは、天地の流転の中に投げ込まれる。水に散った花びらは忽ち流れ去って眼前から消えるし、地に散った花びらは、そこに散り溜まったり、風に吹き寄せられたりする。地に溜まっていた花びらも、数日の間に土に還って目につかなくなる。


立夏が近づくと、桜、山吹、藤など、春咲く花々の大方は散り尽くし、山中は葉を広げる木々に遮られて日ごとに暗くなってくる。その一方で、青空のもとでの日差しの眩しさは、確実に季節が夏に向かっていくことを感じさせる。街を歩く人々の服装も、季節を先取りするかのように軽装になり、街中をからりと乾いた風が吹き抜ける。

豌豆(えんどう)はマメ科の一年草又は二年草。ヨーロッパ原産で、多くは蔓性。春、赤紫色又は白色の蝶形の花をつける。花の後できる若い莢は「絹莢」、豆は「グリーンピース」として食し、いずれも初夏の季語。豌豆の花は、春になるとどこにでも見掛けるありふれた花だが、赤紫も白も、郷愁を誘うような人懐かしさがある。
下の写真は、近所の菜園で撮ったもの。豌豆の白花も盛りを過ぎて、瑞々しい莢が次々とできている。絹莢として油炒めなどにすると、朝食の一品になりそうだ。

芝はイネ科の多年草。野山に自生するが、「若芝」「芝青む」などという場合は、公園や広々した敷地が思われる。冬の間一面枯色をしていた芝生は、春になると若芽が出て、うっすらと青んでくる。そして、夏になると、緑の絨毯を敷き詰めたような「青芝」となる。


鴨は冬鳥として日本に渡来し、春になると北方へ帰ってゆくが、春がたけなわになっても、帰る時期が遅い小鴨などは、まだ帰らずに残っている。また、老いたり病気になったりして日本に留まっているのもいる。ほとんどの鴨が帰ってしまい静かになった湖に、ひっそりと留まっている鴨には、どことなく寂しさがある。
