落葉樹は、春から夏にかけて芽を広げて瑞々しい若葉となり、秋から冬にかけて紅葉・黄葉となって散っていくが、竹は3月から4月にかけて葉や幹を黄ばませる。地下茎で繋がっている筍に栄養分を取られるためだ。「竹の秋」は、このような状態の竹のことを指す春の季語。陰暦3月の異名でもある。黄ばんできた竹は、初夏にかけてしきりに葉を散らす。筍が土中から先端を覗かせるのもこの頃だ。

落葉樹は、春から夏にかけて芽を広げて瑞々しい若葉となり、秋から冬にかけて紅葉・黄葉となって散っていくが、竹は3月から4月にかけて葉や幹を黄ばませる。地下茎で繋がっている筍に栄養分を取られるためだ。「竹の秋」は、このような状態の竹のことを指す春の季語。陰暦3月の異名でもある。黄ばんできた竹は、初夏にかけてしきりに葉を散らす。筍が土中から先端を覗かせるのもこの頃だ。

「桜」は、春咲く花の代表というだけでなく、四季を通じて、日本の花を代表する言わば「花の中の花」。野生種,人工種など、その種類も多い。散り急ぐ風情もいいが、開花し始める頃の初々しさも格別だ。爛漫と咲き盛る日中の桜だけでなく、朝桜、夕桜、夜桜も、それぞれ風情がある。桜が咲く時季になると、公園や庭、山野などに、こんなにも桜の木があったのかと、改めて驚かされる。桜が咲いている間は、戸外を歩いていても桜に目を奪われてしまい、桜の時季が過ぎて、土手草や木々の芽が日々緑を濃くしていたことに気づくことになる。

「忘れ霜」は、春たけなわの頃降る霜のこと。桜の咲く時季を過ぎても、移動性高気圧にともなう夜間の放射冷却などで気温が急速に下がり、畑などに一面霜が降りることがある。私の近辺の茶園などでは、萌え出たばかりの茶の芽が霜にやられるのを恐れて、未明から除霜ファンを回す。古来「八十八夜の別れ霜」といわれ、5月のゴールデンウィークを過ぎる頃には、農家の人たちも降霜の心配から解放されることになる。「別れ霜」「晩霜(ばんそう)」「霜の果」などともいう。

公園や庭園は年を通して四季折々の風情を楽しめるが、生き生きと木々が芽吹き、色とりどりの花を咲かせ、芝が青み、梢に鳥たちの囀りが聞かれるようになる春は、ことに心惹かれる場所だ。そこは、常日頃の忙しない日常とは別の時間が流れているようだ。職場が近くにある人が、束の間の昼休みを憩いに来る。絵画教室の生徒らしい人たちが、木陰などに思い思いに画架を立てている。ベンチで一人弁当を広げている人もいる。子供たちは夢中になって遊具に集まっている。木の周りには、自転車や乳母車が乗り捨ててある。冬の寒さから解放されて、誰にも拘束されることなく、思い思いに過ごせるのが、「春園」の魅力だ。

俳句で「夜桜」といえば、夜の桜のことであり、また、夜桜見物を意味することもある。昼の桜も美しいが、夜、闇の中に仄かに浮かび出ている桜やライトアップされてくっきりと妖しい美しさを浮かび上がらせている桜は、人々を惹きつけて止まない。歳時記では「夜桜」が、通常、植物の部ではなく、生活の部に分類されているのも、夜の桜の周りには、その美しさを堪能しようとする人々の影が見え隠れしているからだろう。いつもなら誰もが寝入っている夜更けになって、夜の桜の周りに佇んでいる人を見掛けるのも、この季節ならではのことである。
