秋も半ばを過ぎていよいよ深まった感じをいう。季節としては晩秋、梢の紅葉・黄葉は彩を極め、大気は冷やかに澄みわたる。目の前に迫る冬を前にして、もの淋しさが漂う。多分に心理的な言葉でもある。

秋も半ばを過ぎていよいよ深まった感じをいう。季節としては晩秋、梢の紅葉・黄葉は彩を極め、大気は冷やかに澄みわたる。目の前に迫る冬を前にして、もの淋しさが漂う。多分に心理的な言葉でもある。

「種茄子(たねなす、たねなすび)」は、種を採るために捥がずに残す茄子のこと。晩秋の頃、傷つき色褪せて、畑の隅に垂れている。
掲句は、天気が安定して晴天が続く晩秋の頃の茄子畑を詠んだ一句。秋の長雨の季節については「秋湿り」という季語があるが、それとは対照的に、その頃は空も大地も気持ちよく乾き、爽やかな日が続く。捥ぎ残った「種茄子」が物思いに沈んだように濃紺の色を一層深めていた。「天地(あめつち)」という言葉を用いて、対象を大きく捉えようとした。平成28年作。
バッタ目キリギリス科の昆虫で、草原に棲む。体色は草色で、褐色の斑がある。長い後ろ肢で跳ねる。鳴くのは雄で、晩夏から初秋にかけてチョン・ギース、ギーッチョンなどと鳴く。別名「ぎす」「機織」。昔はコオロギのことをキリギリスと言ったので、古句を読むときは注意が必要。
下の写真はキリギリスの仲間のクビキリギス。

初秋から仲秋にかけて、幾日にもわたって降り続く雨のこと。「霖」は長雨の意。地域により差があるが、8月下旬から10月上旬にかけて、秋の長雨が降り続く時季がある。太平洋高気圧の勢力が弱まり、秋雨前線が日本付近に停滞して起こる。「秋の雨」の傍題。

「石榴(ざくろ)」はペルシア地方原産のザクロ科の落葉小高木。熟すと裂けて、赤く透明な果肉の粒が現れる。食べると甘酸っぱい。
掲句は石榴の実を、ぎっしりと涙が詰まっていると描写した作品。中の果肉の粒を「涙」に譬えた例句は〈実石榴の涙の粒に似しを食む 移公子〉など、歳時記に散見されるようだが、余り気にすることはないだろう。「ぎつしり」との擬態語は平凡なようだが、石榴の実の内部の充実感を的確に言い留めており、石榴以外の果物を想像させない確かさがある。『文藝春秋』2024年11月号。