暑い昼が去って、夏の夜空に煌々と輝く月に涼しさを感じるというのが、この季語の本意。「月涼し」ともいう。また、昼の暑さをとどめて火照っているようにみえる夕月も、短夜の暁の空に白く残る月も、趣は異なるがいずれも夏の月である。「夏の月の好いことは、それがあまりに輝き過ぎないことだ。」と島崎藤村(『短夜の頃』)が記しているように、夏の月には、他の季節の月にはない趣がある。

暑い昼が去って、夏の夜空に煌々と輝く月に涼しさを感じるというのが、この季語の本意。「月涼し」ともいう。また、昼の暑さをとどめて火照っているようにみえる夕月も、短夜の暁の空に白く残る月も、趣は異なるがいずれも夏の月である。「夏の月の好いことは、それがあまりに輝き過ぎないことだ。」と島崎藤村(『短夜の頃』)が記しているように、夏の月には、他の季節の月にはない趣がある。

夏を初夏、仲夏、晩夏に三分したときの夏の末をいう。陰暦6月の異称で、陽暦では7月頃。暑い盛りだが、既に夏至を過ぎた太陽は南中高度を下げ初め、空や雲、風、草木など万象に夏の衰えの兆しや秋への予感が見える。寝苦しい夜が続いた後、思いのほか涼しい夜が訪れるのもこの頃だ。夏の日々を惜しむ心に、どこか物憂い感じが混じる。

葭というイネ科の植物を乾燥させ、その茎を並べて、糸で粗く編んで作った簀(す)のこと。窓や戸口の庇に立てかけられ、風を通しながら夏の強い日差しを遮ることで暑さをやわらげるとともに、目隠しにもなる。葭簀を張りまわした茶屋を葭簀茶屋、葭簀を張り渡して囲った家屋を葭簀張りという。

旱川は「旱」の傍題。太平洋高気圧の勢力が強く、来る日も来る日も太陽が地上を照り付けながら青空を渡っていく。梅雨時は豊富だった川の水量は日々細り、ついには涸れてしまう。川床の石は露出して、残り少なくなった澱みには、アメンボが苛立たし気に跳ねている。
