言葉待ちつつ涼しさの中にゐる 直人
「涼し」は夏の暑さの最中に思いがけず覚える心地よい涼しさのこと。暑いからこそ、ひと筋の涼気を一層ありがたく感じる。
掲句には「北海道雲母の会(三句)」との前書きがある。普段は誌上でのつながりしかない「雲母」の会員たちとの交友を深める場である。初対面の会員たちと、旧知の仲のような親しみを覚えて言葉を交わしている作者の姿が彷彿する。俳縁を通じた交友の涼しさが、さらりと表現されていて、捨て難い味わいがある。昭和52年作。『朝の川』所収。
言葉待ちつつ涼しさの中にゐる 直人
「涼し」は夏の暑さの最中に思いがけず覚える心地よい涼しさのこと。暑いからこそ、ひと筋の涼気を一層ありがたく感じる。
掲句には「北海道雲母の会(三句)」との前書きがある。普段は誌上でのつながりしかない「雲母」の会員たちとの交友を深める場である。初対面の会員たちと、旧知の仲のような親しみを覚えて言葉を交わしている作者の姿が彷彿する。俳縁を通じた交友の涼しさが、さらりと表現されていて、捨て難い味わいがある。昭和52年作。『朝の川』所収。
昼間見し田のひしひしと冷奴 直人
「冷奴(ひややっこ)」は、冷やした豆腐に生姜や葱などの薬味をのせて食べる庶民的な夏料理の一つ。見た目にも涼味を感じる素朴で手軽な一品。
掲句は、夕餉に冷奴を食べながら、昼間見た青田の光景が「ひしひし」と作者の眼裏に残っているとの句意。この句は、作者が『自作ノート』で「(塩田平は)寺から寺への間はほとんどが稲田で、時期は八月だったから日盛りの青さは格別に目に沁みた。」と記しているように、信濃旅吟の中の一句。穂を孕む前の稲の命の力が、「ひしひし」との擬態語によりよく表れている。昭和51年作。『日の鳥』所収。
赤子眠りて繭臭き灯に染まる 直人
「繭」は蚕の作る繭のことで、特に春蚕の作った繭を指す。絹の原料になる。養蚕農家は、生繭を日に干したり、糸をとるために繭を煮るたりするなど、多忙を極める。
掲句は、「繭臭き灯」が、養蚕農家の繁忙期を彷彿させる作品。家人の目のとどくところに、赤子を眠らせているのだ。繭を煮る生臭い臭いの中に、蚕室の灯が夜遅くまでともり、そこに寝かされている赤子をも染めている。「繭臭き」との措辞を見出したのは、土着者の感性。昭和50年作。『日の鳥』所収。
濃尾平野に人しるき薄暑かな 直人
「薄暑(はくしょ)」は、立夏を過ぎてほのかに暑さを感じる爽やかな気候のこと。歩くと少し汗ばむ程度で、新緑が美しく風が心地よい時期である。大正時代以降に使われるようになった、比較的新しい季語。明るく前向きな夏の始まりを表す。
掲句は、やや高みから濃尾平野を見わたしての旅吟。「しるき」は漢字表記では「著き」で、様子や特徴がはっきりとわかり、際立っていること。大景の中で動く人影が、初夏の光の中でくっきりと浮かび上がったのだ。濃尾平野という木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の土砂堆積で形成された広大な平野の景観を、天守閣などからほしいままにしている作者の姿が彷彿する。「薄暑」には、表現者としての作者の前向きな思いが映し出されているだろう。昭和49年作。『日の鳥』所収。
一群の鳥やや高き薄暑光 直人
「薄暑(はくしょ)」は、初夏の頃のやや汗ばむほどの暑さをいう。本格的な暑さが到来する前の、軽やかな心地よさがある。大正時代に定着した感覚的な季語。この時季の透明感のある光や鮮明な物の輪郭に焦点を当てる場合、「薄暑光(はくしょこう)」という。
掲句は、初夏の透き通るような日差しの中で、頭上を越えていく「一群の鳥」を仰いでの作品。鳥たちの飛んでいく高度が、常に見慣れている飛翔よりやや高いとの感受は、折りからの「薄暑光」の中でくっきりと浮かび上がる。それは、鳥たちの飛翔を常に見慣れているからこそ感受できたものだろう。土着者の目がさり気なく生きている作品。昭和47年作。『日の鳥』所収。