夜店は縁日の夜、神社の参道などに並ぶ露店のこと。食べ物、玩具、金魚など様々なものが売られる。涼みがてらにゆっくりと見て歩くのは、夏の夜の楽しみの一つだ。
掲句は、夜店そのものではなく、夜店が尽きた暗がりの瀬音に焦点を当てた一句。自ずから川沿いの参道にこじんまりと4、5軒の夜店が並ぶ様が想像される。夜店の明かりが途切れると、既に暮れ切った夜闇に瀬音がするばかりだというのだ。楽しみの中に一抹の寂しさが混じる。『俳句』2023年11月号。
夜店は縁日の夜、神社の参道などに並ぶ露店のこと。食べ物、玩具、金魚など様々なものが売られる。涼みがてらにゆっくりと見て歩くのは、夏の夜の楽しみの一つだ。
掲句は、夜店そのものではなく、夜店が尽きた暗がりの瀬音に焦点を当てた一句。自ずから川沿いの参道にこじんまりと4、5軒の夜店が並ぶ様が想像される。夜店の明かりが途切れると、既に暮れ切った夜闇に瀬音がするばかりだというのだ。楽しみの中に一抹の寂しさが混じる。『俳句』2023年11月号。
泡立草とひと口に言っても、秋の麒麟草とも呼ばれる可憐な黄花を咲かせる草のほか、北アメリカ原産の荒れ地に群生する背高泡立草も含まれる。
掲句の泡立草は荒地に猛々しく生える背高泡立草の方だろう。「や」の切れ字を使った伝統的な句形だが、「町消えて」の上五の措辞から思い浮かぶのは、東日本大震災の被災地だ。被災して一瞬のうちに町が消え去り、残された荒地に小さな祠が一つ立っていたという。空想や誇張を排した実直な句柄だが、泡立草が非情な被災地の光景を彷彿させる。『俳句』2023年11月号。
螢(ほたる)は、夏の宵、水辺の闇を明滅しながら飛ぶ。螢火の冷たい光を見ていると、忙しない日常から離れて、未生滅後のことに思いは広がっていく。
掲句は、螢の飛ぶ闇に囲まれて、生きることの意味や限界を新ためて自問している作品。「見える」は、この句では単に視覚に映るというよりも、認識するとの意味合いだろう。日頃何でも物が見えると思って生活しているが、実は人が認識できるのは、この世のごく一部分に過ぎない。大部分の事象は目に見えないまま一生を終わるのだ、と。『俳句』2023年11月号。
つくつくしは法師蝉のこと。ツクツクホーシとの鳴き声からきた呼び名。八月下旬、秋の気配が濃くなる頃鳴き始める。
掲句は鳴きしきる法師蝉の声の中で亡き母を追懐している作品。「つくつくし」のリフレインが、法師蝉の盛んな鳴き声を想像させ、却って作者の独り心を浮かび上がらせる。亡くなった母は二度と還って来ない。簡明な表現だが、一読訴えてくるものがある。『俳壇』2023年11月号。
新涼は、秋になって感じる本格的な涼しさのこと。夏の暑さの中の一時的な涼しさと違って新鮮な中に安堵感がある。
掲句は日常生活の中から詩を掬い上げた一句。書き損じの紙を丸めて少し離れた屑籠に投げ込もうとしたが、逸れてしまったのだ。「紙礫」は、雪合戦のときの雪礫と同様、投げつけるために紙を固く丸めたもの。どんな日常の些事でも、適切な季語と組み合わせれば佳句になり得ることを改めて認識させられる。『俳壇』2023年11月号。