陰暦9月13日の夜の月を「後の月」といい、枝豆や栗を供えるので「豆名月」「栗名月」ともいう。秋が深まる頃であり十五夜の華やかさはないが、その冷え冷えと寂びた雰囲気を楽しむ。
掲句は栗名月の夜、月明かりに誘われて外をそぞろ歩いているところ。名月を楽しみながら歩いている人の誰もが、明日のことは知る由もない。誰にも不意に訪れる死ということを思うのは、晩秋の澄み切った月光の故だろうか。『俳句四季』2023年11月号。
陰暦9月13日の夜の月を「後の月」といい、枝豆や栗を供えるので「豆名月」「栗名月」ともいう。秋が深まる頃であり十五夜の華やかさはないが、その冷え冷えと寂びた雰囲気を楽しむ。
掲句は栗名月の夜、月明かりに誘われて外をそぞろ歩いているところ。名月を楽しみながら歩いている人の誰もが、明日のことは知る由もない。誰にも不意に訪れる死ということを思うのは、晩秋の澄み切った月光の故だろうか。『俳句四季』2023年11月号。
獺祭忌(だっさいき)は正岡子規の忌日のこと。明治35年9月19日、35歳で没した。写生を基本的な方法として俳句、短歌、文章の革新運動を展開したが、亡くなる数年前からカリエスが悪化して病臥の状態だった。
掲句は、東京という都会の印象を大掴みに無味、無臭と捉えた。わき目もふらずにそれぞれの通勤先、通学先へ急ぐ人々。隣室に誰が住んでいるのか分からない生活。頭上にそそり立つ高層ビル。あちこちに設置されている防犯カメラ。24時間営業のコンビニ。確かに無味無臭というのは東京の一面だろう。明治の世しか知らなかった子規がこの光景を見たら何と思うだろうか。『俳句四季』2023年11月号。
蠅取リボンは蠅を捕まえる器具の一つで、粘着紙に誘引剤を塗布したものを垂らして蠅を捕らえる。最近は蠅も蠅取リボンも見かけなくなったが、酪舎などでは今でも使われているようだ。
掲句は、「蠅取リボン」という季語を効果的に用いて、田舎町の中華料理屋の雰囲気を描き出した。夫婦二人でやっている駅前の古びた店に一人隅の方に席を占めた作者。だが、注文したチャーハンは中々出てこない。別に急ぐ用事もないので、無聊のまま、天上から垂れている蠅取リボンを眺めている。誰もが見聞きすることを一句に仕立てた作者の瞬発力を感じさせる。『俳句』2023年11月号。
蟻は蜂と同様、集団で高度な社会生活を営んでいる。地べたや幹に蟻の行列を見かけるのは盛夏の頃。「蟻の道」「蟻の列」などという。
掲句は、まず一匹の蟻が目に入り、その後地べたなどを行き交いする蟻の列が見えてきたという、人がものを見るときの視線の動きを精妙に表現した作品。句のモチーフは人がものを認識するときの視線の動きであって、蟻は素材に過ぎない。そこにこの句の新鮮さがある。『俳句』2023年11月号。
烏瓜(からすうり)は蔓性多年草で林や藪にみられる。実は晩秋の頃、緑色から朱赤色に熟れる。
掲句の「空谷(くうこく)」は人影のない寂しい谷のこと。空谷にひとり真っ赤に熟れている烏瓜が、「唖亜(ああ)」とカラスのような声を出したという。全くの幻想の作だが、晩秋の頃枯れ急ぐ谷にぽつんと目も鮮やかに熟れている烏瓜の姿が見えてくる。俊敏なウィットを感じさせる作品だ。『俳句四季』2023年11月号。