「潤目(うるめ)」は潤目鰯のことで、ニシン科の硬骨魚。大きな眼に脂瞼があり、潤んだようにみえることからこの名がある。多くは干物にして食される。
掲句は潤目鰯を干している浜辺の光景を句にしたもの。自らの背中に差す柔らかな日差しを「じんわりあたたかく」と表現して、眼前の潤目に降り注ぐ日差しが見えて来るところがいい。どことなく春が近づく頃の空気の和みが感じられる作品だ。『俳句』2024年2月号。
「潤目(うるめ)」は潤目鰯のことで、ニシン科の硬骨魚。大きな眼に脂瞼があり、潤んだようにみえることからこの名がある。多くは干物にして食される。
掲句は潤目鰯を干している浜辺の光景を句にしたもの。自らの背中に差す柔らかな日差しを「じんわりあたたかく」と表現して、眼前の潤目に降り注ぐ日差しが見えて来るところがいい。どことなく春が近づく頃の空気の和みが感じられる作品だ。『俳句』2024年2月号。
「春の馬」は春の野に放たれて、のびのびと遊ぶ馬のこと。「春駒」ともいう。春は仔馬や一歳馬・二歳馬などの若駒が目につく季節でもある。
掲句は春の野に遊ぶ「春の馬」を詠んだ作品。野に放たれたばかりの若い馬を想像したい。「近寄れば近寄つてくる」との措辞に、人を疑うことを知らないその馬の初心(うぶ)な人懐こさが表れている。人と馬との関係の温かさが、折から野を吹く柔らかい春風に包まれる。『俳句』2024年2月号。
「百千鳥(ももちどり)」は、春、山野で多くの小鳥が鳴き交わすさま。春暖の季節を迎えた鳥たちの歓びが感じられる季語だ。
掲句の「百千鳥」「朝寝」はいずれも春の季語だが、「百千鳥」を主たる季語として鑑賞したい。朝の寝床で、沢山の鳥の鳴き声に囲まれて、作者は自らの「命」を思っている。四辺が春を迎えた歓びの声に満ちていればいるだけ、作者の思いは、刻々と減っていく自らの「命」の行く末へと及んでいく。光に対して闇があるように、春の歓びの中にいて死を思う。「命減る」との端的な表現が、作者の透徹した自己認識を示す。『俳句』2024年2月号。
雪は、日本海側の豪雪地帯では人々の暮らしに重くのしかかるものだが、冬の晴天が続く太平洋側では、冬の美を代表する現象として愛でられる。人々が雪に寄せる思いはさまざまだ。
掲句は、山国で暮らす人の山への親しみが表出されている作品。浅間山のまとう雪を「雪の肌着」と形容したところがいい。明け暮れ眺め暮らす浅間山に対する、麓に住む人の思いが形象化されている。『俳句』2024年1月号。
「鶴」は、秋にシベリア方面から日本に渡り、冬を日本で過ごすことから冬の季語。北海道に生息している「丹頂」は留鳥だが、「鶴」の傍題として同様に冬の季語になっている。また、「凍鶴」は、鶴が厳しい寒さに凍って動かないように見えるさまを表す。
掲句は、寒気の中で鳴き合う丹頂の白い息が見えてくるような作品。「恋ふ恋ふ」はコウコウであり丹頂の鳴き声を表す擬音語だが、「恋ふ」との表記は、つがいになった雌雄が空に向かって鳴き合う姿を想像させる。季節はまだ求愛期、営巣期には間のある厳寒の最中。「恋ふ恋ふ」には、寒気の中で春の到来を待つ丹頂の命の切実さが表れている。『俳句』2024年1月号。