「冬の海」は寒風や荒波が押し寄せ荒涼としている。日本海側では、雪雲が低く垂れ込め、暗澹とした光景となる。太平洋側はからりと明るいが、うねりが大きく荒々しい。
掲句は舞台から客席を見たときの一瞬の感受を素早く一句に仕立てた作品。明るく照らし出された舞台から見ると、真っ暗の客席は荒涼とした夜の海に感じられたのだ。「冬の海」は比喩として使われているに過ぎないが、舞台上の作者が感じている孤独感や暗く静まり返った客席の印象は、この直喩により読者にヴィヴィッドに伝わってくる。『俳句界』2024年4月号。
「冬の海」は寒風や荒波が押し寄せ荒涼としている。日本海側では、雪雲が低く垂れ込め、暗澹とした光景となる。太平洋側はからりと明るいが、うねりが大きく荒々しい。
掲句は舞台から客席を見たときの一瞬の感受を素早く一句に仕立てた作品。明るく照らし出された舞台から見ると、真っ暗の客席は荒涼とした夜の海に感じられたのだ。「冬の海」は比喩として使われているに過ぎないが、舞台上の作者が感じている孤独感や暗く静まり返った客席の印象は、この直喩により読者にヴィヴィッドに伝わってくる。『俳句界』2024年4月号。
桜は花の中の花。古来より詩歌に歌われ、日本人に愛されてきた。全国に自生し、また、公園などに植えられる。その時季になると、薄紅や白い花が春の野山を染める。
掲句は、〈この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば 道長〉を本歌として換骨奪胎した作品。本歌取りは和歌や連歌などで、古歌の語句・趣向などを取り入れて作歌新古今時代に盛んに行われたが、俳句でも稀に見掛けることがある。知的な言語遊戯の側面ばかりが目につくようだと、成功したとは言えないが、掲句は桜どきの気分を的確に形象化して成功していると思う。咲き盛る桜を前にした、現世も来世もない明るさが描き取られている。『俳句』2024年4月号。
「裸木」は「枯木」の傍題。冬に一葉残らず落葉してまるで枯れたように見える木のこと。
掲句は、冬という季節の情感を単純な線で描き出した。全く葉を落としたプラタナスのような裸木に、隣の木の影が、そしてそこに佇む作者の影がさしている。「裸木の影」に「己が影」と畳み掛けたところがいい。そこに、冬特有の求心的な心の在りようが表れている。『俳句』2024年4月号。
「かたかご」は片栗の花のこと。山林の半日蔭や斜面に自生し、3月頃、茎の頂に紅紫色の花を下向きにつける。
掲句は、野に遊ぶ作者のさり気ない動作に、春を迎えた喜びや解放感が感じられる作品。遠景の火山が上げている「噴煙」と、足元の「かたかご」を並べたところに、春の山野に一日憩うのびやかな気分が出ている。「噴煙」といっても、人の生活を脅かすようなものでないことが想像される。『俳句』2024年4月号。
「双六」は正月の室内遊戯の一つ。江戸時代から一般的になった絵双六では、サイコロのでた目の数だけ駒を進めて、先に上がった方を勝ちとする。
掲句は、双六のサイコロがどこに転がっても、そこがプレートの上だと詠む。地震は、地下にあるプレートのズレによって起こる。地震国である日本の付近では、太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート、北アメリカプレートの4枚のプレートがぶつかり合っているという。地震はいつ起こるか分からない。正月に双六に興じている最中にも、揺れが起こるかも知れない。〈プレートの上で日々生活しているのだから、誰も地震から逃れられないよ、そこで正月遊びに興じている君たちも。〉と呼びかけているような意味合いを、この句から感じ取ることができる。『俳句』2024年4月号。