「小鳥来る」は、尉鶲(じょうびたき)、連雀(れんじゃく)、花鶏(あとり)、鶸(ひわ)などの小鳥たちが、秋に南方から渡ってくることをいう。四十雀などの留鳥のカラ類の小鳥が、秋に山地から平地に下りて来ることをもいう。
掲句は渡ってきた小鳥たちに対する親しみとともに、暑さから解放されて爽やかな季節を迎えた喜びや安堵が感じられる作品。天候が定まる晩秋の頃の明るい青空は、秋という季節のよろしさを感じさせてくれる。『俳壇』2024年9月号。
「小鳥来る」は、尉鶲(じょうびたき)、連雀(れんじゃく)、花鶏(あとり)、鶸(ひわ)などの小鳥たちが、秋に南方から渡ってくることをいう。四十雀などの留鳥のカラ類の小鳥が、秋に山地から平地に下りて来ることをもいう。
掲句は渡ってきた小鳥たちに対する親しみとともに、暑さから解放されて爽やかな季節を迎えた喜びや安堵が感じられる作品。天候が定まる晩秋の頃の明るい青空は、秋という季節のよろしさを感じさせてくれる。『俳壇』2024年9月号。
「更衣(ころもがえ)」は、陰暦4月1日をもって衣服などを夏のものに改めた宮中行事に由来するが、今では会社でも学校でも寒暖に応じ個人個人の事情に応じて衣服を更えるようになった。初夏の軽やかな気分が感じられる季語だ。
掲句の嘴(くちばし)の持ち主は留鳥の椋鳥か鵯だろうか。夏鳥として南方から渡ってきた鳥でもいいだろう。いずれにしてもその嘴が挟んでいる実の青さに、この句の焦点がある。更衣の季節の軽やかさ、さわやかさが、嘴に挟んだ実の青さに集約されている。感覚の集約が巧みな作品だ。『文藝春秋』2024年8月号。
子猫が生まれるのは春がもっとも多く、春の季語になっている。生まれたばかりの子猫の愛らしさは無類。
「プラトニック」は精神的な愛情を指す形容詞で、「プラトニックラブ」などというが、その語源は古代ギリシャの哲学者プラトン。現在使われる「プラトニック」の語義は、プラトンの思想や生き方を根っこに持っている。そんなことを考えていると、傍らの子猫が欠伸したという。何の悪意もない子猫の欠伸だが、それは肉体を離れた抽象的・理想的な存在に思いを巡らす人間たちの精神の営みを笑っているようにも見える。上五中七の措辞のしかつめらしさと「子猫あくび」の落差が、この句の俳諧味。『俳句四季』2024年8月号。
鴉の営巣は春から夏にかけて。人家に近い林や市街地などで営巣し、卵の孵化から巣立ちまで1か月ほど。その後もしばらくは親鳥とともに過ごす。
掲句から、既に巣立って木や電線にいる鴉の子を想像した。見た目は一人前だが、声はか細く、飛ぶのも余り上手ではない鴉の子。巣立つ前と同様、親鴉から餌をもらって生きているのだが、それでも日々生長し、生きる知恵を身につけ、「風を読むまなざし」をしているという。「風を読む」というのも、自然の中で生きていく鴉にとって、なくてはならない生活の知恵なのだ。『俳句四季』2024年8月号。
「まくなぎ」は、夏、人の顔などにまつわりつく小さな羽虫のこと。野道や林の中を歩いていて「まくなぎ」に付きまとわれるのは鬱陶しい。まさにこの世の修羅という感じだ。
掲句は「まくなぎ」にまつわられながら、その真っ只中で誰かとすれ違ったという。「まくなぎ」から早く抜け出したいと誰もが急いで歩み去ろうとする。その最中に誰とすれ違おうと、立ち止まることはないし、声を掛け合うこともない。人と人がすれ違うタイミングとしては最悪と言っていい。嫌われ者の「まくなぎ」が、活きて使われている作品である。『俳句』2024年8月号。