「初蝶」は春になって初めて目にする蝶のこと。春先、萌え始めた草木の中に、紋白蝶など比較的小ぶりな蝶を目にすることが多い。
掲句からは、箱根の彫刻の森美術館のように、彫刻作品が屋外に展示されている光景を思い浮かべたい。胴体部分のみからなるトルソーに不意に初蝶が近づいてきた。辺りに満ちる春の麗らかな日差しの中で、蝶も、真っ白なトルソーの肩の丸みに親しみを覚えたのかも知れない。「初蝶」とトルソーの取り合わせが新鮮だ。『俳句界』2025年6月号。
「初蝶」は春になって初めて目にする蝶のこと。春先、萌え始めた草木の中に、紋白蝶など比較的小ぶりな蝶を目にすることが多い。
掲句からは、箱根の彫刻の森美術館のように、彫刻作品が屋外に展示されている光景を思い浮かべたい。胴体部分のみからなるトルソーに不意に初蝶が近づいてきた。辺りに満ちる春の麗らかな日差しの中で、蝶も、真っ白なトルソーの肩の丸みに親しみを覚えたのかも知れない。「初蝶」とトルソーの取り合わせが新鮮だ。『俳句界』2025年6月号。
「月」といえば秋の月をさす。秋から冬にかけて空が澄み、月が明るく大きく照りわたる。陰暦の8月15日の中秋の名月には、芒を活け、月見団子や季節の食物を供える。
掲句は「供華(くげ)」を生けて中秋の名月を賞している情景を詠んだ作品。「供華」は仏前に花を供えることだが、この句では月に供える草花のこと。供えたのは芒や萱や泡立ち草などだろうか、丈高く伸びたそれらの草花が、どれも風を呼ぶものばかりだという。具体的な草花の名を挙げていないが、却って花瓶などに生けた「供華」のもつ野趣が匂い出てくるようだ。『俳句』2025年6月号。
「筒鳥(つつどり)」はカッコウ科の夏鳥。山中でポポ、ポポ、ポポと幽遠な声で繰り返し鳴く。産卵期は5月~6月で他の鳥の巣に托卵する。
掲句は高野山での作品だが、特定の場所に拘って観賞する必要はないだろう。山間の鉱泉宿か宿坊などでの一夜。旅中の浅い眠りが途切れたとき、「筒鳥」の声が聞こえてきたのだ。既に夜明けの薄明りが作者の枕辺に差しているのかも知れない。「浅き眠りのきれぎれに」との措辞には、明け易い夜を惜しむ思いが滲む。『俳句』2025年6月号。
「春の雲」は春の空に浮かぶ雲。何事もなく青空にぽっかりと浮ぶ雲は、春の一日の永さとともに、季節の深まりを感じさせる。
日々多忙に過ごしていても、偶々、カレンダーに書き込む予定が全くない日があったのだろう。その日だけぽっかり空いて、青空に浮く「春の雲」を思わせるとの句意。「ぽつかり」との擬態語が、晩春の頃の閑雅な一日の気分をよく表している。それは空虚というより、もっと充実したものだ。『俳壇』2025年6月号。
「マスク」は白いガーゼなどで口や鼻をおおうもの。風邪の感染予防や寒さ、乾燥などから鼻や喉を守る。
掲句は「隔離棟」の窓を外から見上げたところだろう。「マスク」はコロナ禍以来常時装着するものとなりすっかり馴染みになったが、俳句では冬の季語。作者が見上げたとき、「マスクの貌(かお)」が窓に現れて窓を開けたというのだ。「顔」でなく「貌」と表記していることに注意したい。それは医療従事者としての「貌」であって、作者との日常的なつながりが絶たれている一種抽象的な「貌」である。コロナ禍にあって誰もが感じていた孤独な心情が、一瞬よみがえる。『俳壇』2025年6月号。