蟷螂(かまきり)はカマキリ目の昆虫。6月頃卵から孵る。大きく成長した蟷螂が目につくのは秋の訪れを感じる頃なので、秋の季語になっている。
掲句は、蟷螂が捕えた蝶を食んでいる様を、「きらきら」との擬態語により描写した作品。この語により、蟷螂に食べられつつある大振りの蝶の姿や絢爛たる翅の模様が見えてくる。秋とはいえ、まだ強い日差しが虫たちに降り注いでいるのだ。『俳句四季』2026年4月号。
蟷螂(かまきり)はカマキリ目の昆虫。6月頃卵から孵る。大きく成長した蟷螂が目につくのは秋の訪れを感じる頃なので、秋の季語になっている。
掲句は、蟷螂が捕えた蝶を食んでいる様を、「きらきら」との擬態語により描写した作品。この語により、蟷螂に食べられつつある大振りの蝶の姿や絢爛たる翅の模様が見えてくる。秋とはいえ、まだ強い日差しが虫たちに降り注いでいるのだ。『俳句四季』2026年4月号。
「煤払(すすはらい)」は、新年を迎える準備として12月13日の「事始め」を中心に行われる屋内の煤や埃を落とす大掃除のこと。一年の汚れと厄を払う神聖な年末の行事。
掲句は、年末の大掃除で、神社の本殿や絵馬堂などに掛けられている「須佐之男(すさのお)」の大絵馬の煤を払ったという。須佐之男命(すさのおのみこと)は、日本神話に登場する神で、荒ぶる暴風雨の神からヤマタノオロチを退治する英雄神へ成長した。厄除け・縁結び・五穀豊穣の神として神社などで祀られている。単明な句柄だが、一年の汚れと厄を払う神聖な年末の行事である「煤払」の雰囲気がよく表れている一句。『俳句四季』2026年4月号。
「黄塵(こうじん)」は中国大陸の砂漠から偏西風に乗って日本へ飛来する黄砂や、春風に舞い上がる土煙のこと。空や遠くの景色が黄色く霞んで見え、地上が黄色に染まることもある。「霾(つちふる)」の傍題。
掲句は黄砂が飛来した街中を詠んだ作品。「巷塵(こうじん)」は俗世間のちり、浮世のよごれのこと。強風が吹いて、常日頃の「巷塵」に海を越えて渡って来た「黄塵」が加わったというのだ。コウジンという同音異字のリフレインが効果的だ。強風の中、街中を歩く人々の嘆きが聞こえてきそうな一句。 『俳壇』2026年4月号。
白菜は代表的な冬野菜。霜に当たると甘みが増すため、鍋料理や漬物など冬の料理に広く使われる。明治時代に中国から伝来した。
掲句は白菜を入れた鍋や煮物が煮えるまで、傍らで本を読みふけっている情景を詠む。独りの食事の準備の手すきに、本を披いているのだろう。入れたときには真っ白だった白菜が、いつしか煮えて透きとおっていた。煮えるのを楽しみにしながらも、時間を忘れて本の世界に没入しているのだ。鍋料理などの湯気や匂いの中での、独りで過ごす時間の充実感が、そこには感じられる。『俳壇』2026年4月号。
「蝶」は彩り鮮やかな翅をもつ昆虫。陽春の日差しの中を花の蜜を求めてひらひらと舞う。単に「蝶」といえば春の季語だが、春に見かけるのは紋白蝶や紋黄蝶などで、小さく可憐なイメージがある。
掲句は、流感の高熱の最中に現れた蝶を詠む。流感はいわゆるインフルエンザのことで、現れた蝶は、高熱故に作者の脳裏に描き出された幻なのだ。この句から、私は日野草城の〈高熱の鶴青空に漂へり〉を思い浮かべた。草城の「鶴」もこの句の「蝶」も、高熱に浮かされた病中の心象であろう。作者は戸外の春の麗らかな日差しを想像しながら、病臥しているのだ。病苦も作句の契機にしてしまう作者の詩魂の逞しさを感じさせる一句。『俳壇』2026年4月号。