月見草と待宵草は、江戸時代後期から明治時代初期に日本へ渡ってきたが、待宵草の方が繁殖力が強く各地で野生化したため、現在山野で目につくのは待宵草の方で、本来の月見草を見る機会は少ない。一般的に、待宵草が月見草と呼ばれるようになっている。
掲句も、荒れ地などどこにでも見掛ける待宵草を句にしたもの。水の匂いとでも形容できそうな月見草の微かな香りを胸に吸い込みながら、水が豊かな星に生まれて今を生きている不思議を思った。令和元年作。
月見草と待宵草は、江戸時代後期から明治時代初期に日本へ渡ってきたが、待宵草の方が繁殖力が強く各地で野生化したため、現在山野で目につくのは待宵草の方で、本来の月見草を見る機会は少ない。一般的に、待宵草が月見草と呼ばれるようになっている。
掲句も、荒れ地などどこにでも見掛ける待宵草を句にしたもの。水の匂いとでも形容できそうな月見草の微かな香りを胸に吸い込みながら、水が豊かな星に生まれて今を生きている不思議を思った。令和元年作。
青柚は、熟す前の柚子の実のこと。6月頃五弁の白い小花をつけたのち、葉陰に青緑の実が育つ。柚子(秋季)といえば、晩秋に黄色く熟した実のことだが、青柚(夏季)は香り高く、果皮を擦ったり削いだりして、料理の香りづけとして使われる。

キク科の多年草。全国に分布し、山野の日溜りでやや湿ったところに自生している。雌雄異株。春先に出る花茎(蕗の薹)に遅れて、花茎とは別の地下茎から葉柄を伸ばして地表に葉を出す。夏になると、地を覆うばかりにぐんぐん葉を広げる。蕗の薹も蕗も食用になる。なお、東北以北から北海道にかけて自生する巨大なアキタブキ(秋田蕗)は近縁種。

山法師は初夏の頃花を咲かせるが、白い花と見えるのは4枚の総苞片であり、その芯の球状に密生する緑黄色の部分が花である。だが、植物学的な説明はともかく、山法師の花といえば、満目の緑の中で咲く清潔感のある真っ白い花との印象が強い。
この句も、山法師の花のそうした印象を活かそうとした作品。子育て中には様々な苦労があった長男も、結婚して二児の父となった。よくここまで辿り着いたとの安堵の思いもあった。令和3年作。
花の夜といえば、昼間見た爛漫と咲き盛る花(桜)の姿を心の中で思い浮かべながら過ごす静かな夜が思われる。既に万朶の花は夜闇に沈んでいるのだが、その華やかな姿は眼裏に残っている。
掲句は、夜、花の余韻に浸っている作者の、自らの身体に対する遠近感覚を詠んでいる。土不踏(つちふまず)は、身体の中で最も目につかない部分であり、顔や手に比べると普段意識することも少ないが、乗り物が発達した現代でも、人の活動は自らの二本の足が頼みであることに、今も昔も変わりはない。日頃頼みにしている土不踏のことを思い浮かべるところに、花見の後の作者の心地よい疲れが思われる。『俳句』2023年6月号。